8月のはじめ、僕が留学していた高校の20年ぶりの同窓会(Reunionという)があった。アメリカでは10年に一回、こうした集まりがある。シアトルでレンタカーを借り、I5(高速道路)を北上すること2時間。見覚えのある山並みが見えてきた。僕が1年間滞在した小さな田舎町、LYNDENだ。
町に入ってゆっくりと車を流す。当時と変わらない街路樹のアーチ。薄いグリーンの壁の郵便局。のんびりと流れる空気。まるでタイムスリップしたかのようだ。車を止め、モールを歩いてみる。すると走馬灯のように、あのころの記憶が蘇る。17歳の自分がそこにいた。
学校の初日。とても不安だった。人の流れのまま体育館に向かう。階段型になった席の一番上段の隅っこに座る。誰も知っている人がいないし、言葉もろくに通じない。しかし、私にはある作戦があった。「よし、やるか」僕は、ドキドキする心臓で声が震えないようにしながら “Hello”ととなりの人に声をかけた。
相手が何と言ったかまったく覚えてない。ただ、自分は一生懸命覚えたフレーズをしゃべった。”My name is TORU. I’m from Japan. Nice to meet you!” そして、用意した豆絞りを手に ”What is your name?” と相手の名前をカタカナで、マジックで書いて渡した。
この、名づけて「モノでつる」作戦は大成功で、400人ほどの小さな高校で、僕は一躍有名になった(というより、正直、皆この手ぬぐいが欲しくて、僕のところに列をなしてきたのだが)。しかし、これで何とか友達をつくるきっかけはできたのである。
また、仲良くなるにはスポーツが手っ取り早い。そこで身体の小さな僕は、少々無理をしてフットボールにも参加した(正直に言えば、邪魔にならないように混ぜてもらった感じだったが)。プロテクターをつけ、屈強な選手に吹っ飛ばされ、足に青あざも作った。でも素敵な思い出もある。ある他校との試合のとき、チアリーダーたちが先頭になり、ボクの名前をスタジアム全体でコールしてくれた。”We want TORU!!”―これはもう、一生忘れられないほどしびれた。
学校の勉強そのものは難しくないのだが、やはり英語は聞き取れない。はじめの3ヶ月はとにかく早さに耳が慣れない。ただ神経は使うのでとにかく眠い。ランチ後の5時間目の授業ではよく居眠りをして、みんなに笑われた(注:アメリカの高校では、授業中寝ている人は一人もいなかった)。耳が慣れてきたのは、クリスマスを迎える頃だった。
ダンスパーティにもいった。 Promというフォーマルなダンスだ。男性が女性を誘わなくてはいけない。そこで僕は、バンドのクラスで見つけた2学年下のTamiを誘い、幸いにも彼女はOKしてくれた。タキシードをレンタルし、レストランを予約し、車の運転を友人に頼む。まだ17歳の僕は、緊張して満足に話もできなかった。そして会場で記念写真を取り、最後、彼女を送っていってドアの前でおやすみのキス…。なにがなんだかわからない、夢のような時間だった。
僕がもっぱら英会話の練習相手にしていたのは、お店の店員だ。ヒマがあると町の中心の小さなショッピングモールにおんぼろ自転車で行き、お店の人と仲良くなった。
よくいったのはジーンズショップと、スポーツ店だ。なにせ田舎町でヒマなので、こちらのムダ話にもつきあってくれる。買い物をするつど、何時間も長居していた。(彼らとは今回10年ぶりに再会し、とても喜んでくれた!)。
とにかくできることは何でもした。バンドでドラムを叩いたし、スキークラブにも入った。ロータリークラブで日本の紹介もしたし、教会にも通った。
でもなぜ、あれだけ頑張れたんだろう。いまの何倍もエネルギッシュで、活動的で、効率的な自分がいた。いまそのときぐらい頑張れたらどんなにかスゴイことか。
きっとその理由は、1年という期限があったということだ。普段、私たちはあたかも終わりのない人生を送っているかのようだ。しかし、1年という期間が決められた留学では、到着したその日から時限爆弾のタイマーが回りはじめる。「あと半年」「あと3ヶ月」…そう思うと、1日たりともムダにはできなかった。
それに加え、僕は変わりたかったんだと思う。それまでの内気でおとなしく、周りの目を気にしていた自分をなんとか変えたかった。それには留学は好都合だった。誰も過去の自分を知らない。つっかえてしまう日本語を話す必要もなく、新しい自分を思いきり演じることができる。「川村透」から「TORU」になった瞬間、僕の中でいままでつながっていなかった回路にスイッチが入ったみたいだった。
カントリークラブでの仲間たちのと再会。皆、頭が禿げ上がり、太っている。姿形に昔の面影はないが、顔をみればすぐわかる。
「あのときくれた手ぬぐい、まだ持ってるぜ!」「ええっ、まだ持ってるの?」
「TORUとよく長電話したわよね」「そうだったかなあ」
「タコスを作ってくれたの、覚えてる?」「ああ、もちろん」
「ダンスでどこのレストラン行ったんだっけ?」「ブラックアンガス!」
あれから確かに20年というときが過ぎた。しかし、あの日、あの場にいたのは、17歳のみんなだった。僕はつくづく思った。「ああ、あのとき、不安に負けず、カフェテリアでみんなの輪に飛び込んで本当によかった。恥ずかしかったけど、あの子をダンスに誘ってよかった。あのときの勇気がなかったら、いま、この何ともいえない、あたたかい、胸がキュッとするようなみんなとのつながりはなかったんだ」
17歳の自分の勇気とそれを受け入れてくれたみんなに感謝。本当にありがとう!あの一年は、いまの自分にとっての源。そこへ帰ると、エネルギーが沸いてくるんだ。
いまから10年後には30年目のリユニオンが開かれる。みな48歳になっているはずだ。そのときがくるのを、いまから心待ちにしている(そのときには、ボクの頭も禿げ上がってるかもしれないっ!)(笑)。
川村透かわむらとおる
川村透事務所 代表
「ものの見方を変える」という視点の転換を切り口に、モチベーションアップ、チームビルディング、リーダーシップ、コミュニケーション、問題解決など様々なテーマで講演、研修を行う。自身の体験と多くの研修・講演…