先日、テレビの経済ニュースを見ていたら、いま、ものの売れ方が変わってきているという。以前は、富士山型で、ゆっくりじわじわと売れ、売れなくなるのもゆっくりだったそうだが、最近は茶筒型といって、急に垂直に売れ始め、そして売れなくなるのも突然だというのだ。
●納得するかどうかより…
その理由は、一昔前の人(昭和40年生まれ頃を境に)は「自分が納得しないと」買わない、いわばこだわるタイプが多かったのが、最近は「売れていると思うと、自分で判断しないでそれに飛びつく」人が多いということだった。
「まあそんな人は少数で、ほとんどの人は自分でいいと思わないと買わないよ」と信じ込んでいた私は、これを聞き、かなりショックを受けた。なにしろ、そういった消費行動をとる人たちが無視できないほどいる(いや、正確にはそちらのほうが多い)というのだから。
僕のパラダイムは見事に崩れ去った。もう自分で判断する人が正しくて、そうでない人が間違っているとは言えない。むしろ、僕のほうが「変わってる、時代遅れ」と言われかねない。
●こだわりのない人たち
たしかに最近「なんであんなモンが売れるの?」と理解できないものが多く目につくようになってきた。その理由がこれで明らかになった。要は、きっと皆、こだわっていないのだ、自分の価値観に。周りが持っている、売れていると「あ、自分も」とストレートに思うのだろう。自分の価値観にあえて照らし合わせない、という価値観。うーん、それもありか…。
●僕は超こだわり派
僕は、新しいものにシフトするのがかなり遅い。やっぱり自分でいいと思わないとダメなのだ。そして気に入ったらずっとそれを使いたい。周りや流行なんてまったく関係ないのだ。
たとえば携帯。僕はかなり最近まで携帯を持っていなかった(去年くらい)。都内はPHSで十分だったからだ。当時、携帯の月々の通話料は五千円以上で高いと思ったし、別に携帯で写真をとったりメールをすることもないから、いらないと思っていた(ついに携帯にしたのは、PHSの会社が全国サービスができなくなってきたから)。
あるいはスタバのコーヒーのパーソナルカップ。あれを持参すると20円割引になるのだが「コーヒーをプラスチックのカップで飲むなんて邪道だ!」とのこだわりがあったので、しばらくは「マグカップ」で飲んでいた(いまは20円に負けてプラスチックカップで「うまい」といっている邪道な僕がいるが)。
●こだわらないのが日本人?
しかし、歴史を振り返ってみると、日本人は案外こだわらない民族なのかもしれない。古い建物も惜しみなく壊し、新しいのを建てる。いろいろな宗教、文化、食べ物を受け入れ、あたらしもの好きだ。実際、鎖国などなかったという新説もあるくらいだ。
ご存知かも知れないが、ヨーロッパというのは意外と保守的である。イタリア人もそうだ。ミラノに住む日本人の友人が、先日ぼやいていた。「ウォッシュレットをイタリアに売り込もうと思うんだけど、全然ダメなんだよね。”そんなのいらないっ”て言うんだ。ビデなんかよりずっと効率的なのに」彼らにとっては「用を足したあとは手で洗う」のがこだわりなのかもしれない。
●事業もこだわり
ビジネスも、大きく二つに分かれる。理念にこだわっている人とそうでない人だ。ある人は自分の思いが形になったのが事業で、その理念の実現に全精力を傾ける。会社は自分の分身みたいなものだ。が、一方では、とにかく金儲けができればいい、儲かったら会社を売ってほかのことをしようと考える事業家もいる。要はこだわっているところが違うのだろう。どちらが正しい、ということはない。どちらが好きか、である。
●こだわるべきか否か
こだわるとはほかのものを切り捨てることだが、同時に深みも増す。一方、こだわらないとは広く物事を吸収できるが、軸がはっきりしない。
僕は日々、この狭間をいったりきたりしているが、いまのところの結論としては「つねに間口を広くとりながらも、その中で自分がいいと思ったものには徹底的にこだわろう」と思っている。新しい価値観はふれてみないとわからないし。
さて、皆さんはこだわり派、それとも新しモノ好き派?
<今月のレッスン:こだわらない中に、自分のこだわりを見つけよう。>
川村透かわむらとおる
川村透事務所 代表
「ものの見方を変える」という視点の転換を切り口に、モチベーションアップ、チームビルディング、リーダーシップ、コミュニケーション、問題解決など様々なテーマで講演、研修を行う。自身の体験と多くの研修・講演…
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