養護学校の高等部で同級生になった萩原浩(仮名)は、もう今となっては親友などという枠{わく}を遥かに超えて家族のようになってしまっている。10代のド真ん中で知り合い、すでに30年以上の歳月が経ってしまった。
萩原は中学校までは普通校に通い、自分が障害者だという意識はなく、とても健康な心を持っていることが、ぼくには少しうらやましかった。当然、障害は軽い。本人は自分の身長を「120センチはある!」と言うが実際には数センチ高く言い張っていた。その理由は、遊園地のジェットコースターでの身長制限から逃れるためだった。高校時代も、いっしょに様々なことをした。二人で校則を犯したことさえある。ふつう養護学校で校則を犯す生徒など、絶対に存在しないのが普通だ。第一、養護学校そのものに校則というモノがない。どんな校則違反をしたのかは、想像していただきたい。いまとなってみれば、ひよこが背伸びした程度の、笑ってしまう思い出になっている。
ほんの偶然に出会ったぼくと萩原は、性格も違い高校卒業後の進路も生活も、それぞれ別の道を歩んでいる。これは障害の程度の差だった。彼は一般企業のサラリーマンになり、ぼくは自宅へ帰るしかなかった。だが萩原との関係にはなんら変わりなかった。長い休みには、わが家を別荘とでも思っているかのように長逗留{ながとうりゅう}し、うちの家族の一員になっていた。お互いに自分では障害者だという自覚もなく、ほかの健康な友人たちも一緒になって夏は海に、冬はスキーをしに雪山にとレジャーを楽しんだ。ぼくも膝に子供用のスキーを着けて滑走した事実は、いまも写真に残っている。
まさに相棒、萩原とぼくはそう言い表すしかない。どんなイベントも事前の準備やセッティングをぼくがやり、当日は萩原がまわりに指示して楽しくそれを成功させる。それは今も変わらない。歳を重ねて少しは無茶な企画はしなくなったが、顔を合わせれば、あの高校時代とあまり変わらない会話になっていることに気づく。だが相手の障害が大変であろうことは互いに百も、いや千も万も承知している。しかし、せっかく生まれてきた人生とやらで、少しぐらいの障害があるからといって投げ出すのは、もったいない。これが萩原とぼくの心の奥底にある共通点だ。
きびしい時代、いわゆる健常者の方たちの苦労は並大抵ではないのかも知れないが、折にふれて萩原の会社でも創意工夫の一端を聞くたびに、ぼくは頭が下がる。また彼も、なんとか社会に食い込んで行こうとするぼくの姿に「かつおも、やるもんだ」と言ってくれる。たぶん、これからも萩原との付き合いは続き、どちらかの骨を拾っても「いい関係」は終らないのだと思う。
中村勝雄なかむらかつお
小学館ノンフィクション大賞・優秀賞 作家
現在、作家として純文学やエンターテイメント小説、ノンフィクション・異色のバリアフリー論を新聞・雑誌などに発表。重度の脳性マヒ、障害者手帳1級。 <小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞のことばより…
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