昨年12月の総選挙で政権を奪還した自民党。年末に成立した安倍内閣が「絶好調」だ。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、そして民間の投資を促進する成長戦略という「三本の矢」のうち、実行したものは実を言えば、ほとんど何もない。金融緩和をするという姿勢を示しただけと言ってもいい。日銀に2%のインフレターゲットをのませ、金融緩和を強化するという約束をさせた。日銀総裁の後任に積極緩和論者の黒田東彦氏を迎えることを決めた。13兆円を超える補正予算は2月26日にようやく成立したところだ。
こうしてみると、なぜ民主党政権がこうしたことができなかったのかが不思議に思えるほど単純だ。要するに、ドルやユーロ、つまりはFRB(連邦準備制度理事会)やECB(欧州中央銀行)に負けないように緩和をすれば、為替レートは円安になるということである。これが本当に正しいのかどうかは歴史の判断に待たなければならないが、少なくとも今現在は円安に振れた。さきにモスクワで開かれたG20 の中央銀行総裁・財務相会議では、日本が「為替安戦争」を仕掛けたとも言われたが、結局は「デフレ脱却のため」という論法で乗り切った。
安倍政権の出だしとしては上々である。しかし本当に苦しいのはここからだ。円安になって輸出企業は一息つくのは間違いないが、同時に輸入物資は高くなる。最も問題なのはエネルギーだ。これまで海外の相場が高くなっても、為替が円高だったためにその直撃は受けなかった。それでも2011年には32年ぶりに3兆円を超える貿易赤字になり、2012年には7兆円弱という巨額の貿易赤字になった。2011年は東日本大震災とタイの洪水によって日本のサプライチェーンがずたずたになったという特殊事情があり、貿易赤字は一時的なものと解説された。しかし実際には、貿易赤字はどうやら日本経済にビルトインされたようなのである。
2012年も高いLNGの輸入が赤字の「主犯」であることは間違いないが、問題は、日本からの輸出が構造的に減りつつあるのではないかということだ。実際、海外で日本企業が工場を建設するというニュースはよく目にするが、国内で新しい工場を作るというのはあまり聞かない。いま日本企業は、「中国+1」として中国以外のアジアの国に進出しつつある。市場がそこにあるのだから当然といえば当然。しかも円高に振れていたのだから、企業は競争条件の悪い日本にわざわざ立地するはずもない。
さらにこの傾向が強まれば、外国で作った物を日本に持ち込むケースもさらに増えてくる。衣料や雑貨、家電や自動車。もともとは日本で作っていたものが海外生産に移行し、さらにそれが日本に輸入される。生産の空洞化だ。この空洞化問題で先鞭をつけたのはアメリカだった。日本が経済大国として台頭し、アメリカの産業から競争力を奪ったからである。日本車に対するバッシングが起きたのも、アメリカから雇用を奪ったとされたためだ。
日本が空洞化を抑制し、ある程度の製造業の雇用を維持しようとするなら、国ができる重要なことは「競争条件の整備」だ。もちろん政府が補助金を出すということではない。他の国と「同じ土俵」で戦えるようにするのである。そのひとつの手段がFTAやEPAなどの自由貿易あるいは経済連携だ。TPP(環太平洋経済連携協定)も同じである。もしこのTPPに乗り遅れれば、日本に工場を建設しようとする企業は現れまい。
よほどの円安になれば別だろうが、そのときは日本の国民はかなりの経済的窮状に苦しんでいるはずだ。輸入物価が上昇し、エネルギーコストは相当高くなっているはずだし、何よりもその時には物価高に伴って金利も上昇しているだろう。金利が上昇すれば、政府の借金はいよいよかさみ、それを補うために消費税はさらに引き上げられているはずだからである。
その意味では、思ったよりも早く安倍首相がTPPへの「参加表明」をすることになるのは歓迎すべきことだと思う(ちなみに交渉に参加するというのは言葉のあやに過ぎないのだから、もういい加減に使うのを止めたらどうだろう。交渉がまとまらないから降りるというのは選択肢として当然あるはずだ。それを交渉に参加するのはいいという論理を立てたのは野田首相だったと思うが、いかにも政治家っぽい詭弁のたぐいである)。
TPPに参加したからといって日本の「立地条件」がすぐによくなるということではないが、世界の先進国の中でも異様に低い外資の直接投資を引き上げることにつながる可能性が出てくる(参加しなかったら、可能性は限りなく小さくなるはずだ)。
こうして安倍首相のロケットスタートは順調だが、問題はこれからだ。第一の関門は、6月に日本企業や投資家を納得させられる「成長戦略」を策定することができるかどうか。成長戦略の要点は規制改革である。そして自民党はもともと既成利益団体のしがらみをたっぷり抱えている政党だ(民主党の失敗のひとつは、労働組合という既成利益団体を説得できなかったところにある)。小泉内閣のときもさんざん抵抗したのは、こうしたしがらみがあったからだ。もしそこを突破できたら、参院選で安倍首相がリベンジできる可能性も高くなる。もしそこに失敗すると、イタリアの混乱を笑うどころか、「やはりだめだったか」と世界から笑われることも覚悟しなければなるまい。
藤田正美ふじたまさよし
元ニューズウィーク日本版 編集長
東京大学経済学部卒業後、東洋経済新報社にて14年間、記者・編集者として自動車、金融、不動産、製薬産業などを取材。1985年、ニューズウィーク日本版創刊事業に参加。1995年、同誌編集長。2004年から…
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