私は、昭和三十九年(一九九四年)に生まれた。東京オリンピックの年である。白黒テレビの記憶はうっすらあるけれど、それはあっという間にカラーの画面になり、日本の高度経済成長(の後半)とともに大人になった。いつだって、文明の進化と物欲の拡大と消費の加速度に振り回されながら、それらを楽しんできた。時々、息を切らしてりしても。
テレビだけではない。一家に一代だった黒電話から壁にかける部屋電話に変わり、それがあっいう間にコードレスとなった。留守番電話なんて妙なものにもすぐ慣れた。一家に一台なんて時代は今やおとぎ話、一人に一代携帯電話は当たり前である。さすがに、蓄音機は触ったことはないけれど、レコード&カセットテープ→MD→CD→ダウンロードという移り変わりも経験した。一寸先はいつでも、闇ではなくて光だった。・・ような気がする。物心ついてから、社会に出て、年齢だけはいっぱしの大人になるまで、ずっと右肩上がりの世の中を右往左往していたのだった。
大学を卒業して数年後に、あの「バブル時代」がやってきた。といっても、まっただ中にいた時は、単にこれまでの通りの右肩上がりの一過点としか思っていなかった。ああ、いつものことなんだと。もしかすると、一過点とさえ受け止めていなかったかもしれない。ばんばん輸入ブランドのブティックがオープンして、新しいデザートが流行っては廃れていき、ディスコは豪華さを競った。週末の夜はタクシーを捕まえるのに一苦労。そんな光景が日常だった。
バブルは、はじけたからこそ、バブルだとわかった。少なくとも、私たち一般市民は。正直いうと、ぱちんと破れたというより、空気が抜けた風船のように急激に景気がしぼんでいったというのが実感だ。いつの間にか、楽しいこと新しいことが少なくなり、目先の欲望に従う行為にうしろめたさを感じる世の中になった。気がつくと、私たちは「いつまでたっても主役気分が抜けない、能天気で空気を読まず、消費しかできないバカな世代」として嫌われていた。
「これだからバブル世代は」。冷ややかな視線ととも、何度、こんな言葉を投げつけられただろうか。
落ち込んだ私は、「あの頃は良かったなあ」と旧き良き時代を思い出す。そう、なんでもかんでも欲望がかなったあの頃を・・、あれ?果たして、本当にそうだろうか。私が二十代の時、携帯電話はもちろんSNSなんてコミニケーション・ツールがなかったから、友達とのたまり場を作ろうとしたし、UBERもなかったから必死になって「空車」の赤い文字に手を降り続けた。ネットショッピングもダウンロードもアプリもなかった。だからこそ、自分たちの心地よい環境を求めてさまよった。
過去は自分を作っている成分だ。あの時代があったからこそ、今がある。明日を何かを期待したいのならば、昨日を大切にするべきだと私は思う。
甘糟りり子あまかすりりこ
作家
玉川大学文学部英米文学科卒業。学生時代は資生堂のキャンペーンガールを経験。大学卒業後、アパレルメーカー勤務。雑誌の編集アシスタントを経て、執筆活動を開始させる。『東京のレストラン』『真空管』『みちたり…
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