生きている上でもっとも大切なことは「実感」だと思う。
数字や条件、経歴といった外的な要素ではなく、自分の肌でつかみとるもの、それが実感である。
インターネットなどのおかげで、世の中はぐっと便利になった。パソコンの画面で写真を見て「ポチっ」とやれば欲しいものが届けられるし、スマホに文字を打ち込むだけで声をきかなくても友達や知人と交流ができる。しかし、便利と安易は紙一重。便利になった分、実感が希薄になっているのではないだろうか。
例えば、音楽にいたっては、驚くほどいろいろなことが気軽で簡単になっている。無料アプリを使えばその場に流れているのが誰のなんという曲かが瞬時に判るし、判明したもののほとんどをiTunesで同じく瞬時に入手できる。もっといえば、買わなくても月に数百円を支払えば、その時々で聞きたい曲を好きなように聞けるのだ。天国のような状態である。いや、これ、本当に天国なのか?
その昔、私が学生だった頃、ディスコで「これ!」という曲がかかると、DJブースの後ろに張りつき、DJが手にしているレコードジャケットを凝視した。今に照らし合わせていえば、心で写メを撮るのである。その残像が頭に残っているうちに輸入レコード屋さんに行き、端から一枚ずつ確認して、お目当てのレコードを捜した。似たようなジャケ写のものを間違えて買い、がっかりしたことは何度もある。こんなふうに苦労して、やっと見つけた一曲には特別な愛着がわく。ン十年たった今でも、メロディもリズムも鮮明に憶えている。
それに比べて、ポチっとやって、次の瞬間にはスマホの中に収まっている曲にはどうにもこうにも、たいした執着が持てない。いいな、と思っても、すぐ飽きる。スマホだと歌詞カードなんてものも手にしないのも、愛着を持ちにくい理由かもしれない。歌詞にこめられたドラマを系統だって体験することがないのだから。
流行歌は時代のBGMだというけれど、このままだとそれ以下の消耗品でしかなくなってしまうのではないだろうか…。歌や音楽には、自分のさまざまな場面を彩られ、時になぐさめられたり勇気づけられたりした者としては、そんな状況をさびしく思ったりもする。けれど、レコード世代のそんな思いは杞憂のようだ。
若い世代はライヴやフェスによって、音楽への実感を得ている。空間と時間を共有することによって、それを立体的なものにするのだ。数え切れないたくさんの「瞬間」を重ねることによって、メロディやリズムに匂いがつく、といったらいいだろうか。決してダウンロードでは味わえない醍醐味である。そういえば、こうした感覚を、私たちはかつて「グルーブ感」とかなんとかいっていたかもしれない。
私も、何度かフェスに行ったことがある。お金も時間も体力も気力も使う。準備にもなにかと面倒だ。そして、現地にいる時間が充実していればいるほど、翌日は抜け殻のようになり、元の生活を取り戻すには少々のエネルギーが要る。だからこそ、楽しいのだよね。知らない何千人何万人の誰かと、今しかない貴重な瞬間と興奮を共有する。これを「実感」といわずしてなんというのだろう。
甘糟りり子あまかすりりこ
作家
玉川大学文学部英米文学科卒業。学生時代は資生堂のキャンペーンガールを経験。大学卒業後、アパレルメーカー勤務。雑誌の編集アシスタントを経て、執筆活動を開始させる。『東京のレストラン』『真空管』『みちたり…
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