生まれて初めて人に「オジサン」と呼ばれたときのことは今でも覚えている。伊豆辺りの電車で4人がけのボックス席に座っていたときのことだった。隣に座っていた男の子がトイレに行きたくなったらしく、その前に座っていたオバサンに、『セキヲトッテオイテクダサイ』と頼んでいなくなった。気さくそうなオバサンは『はい、いいですよ』と引き受けたものの、その男の子が戻ってくるのが意外と遅く、やがてオバサンが降りる駅が近づいたのかそわそわし始めた。
そして駅到着のアナウンスが入ると、オバサンは席を立ち、困ったように僕に話しかけた。『オジサン、この席をあの子に取っておいてくださいね』
そのオバサンは少なくとも、僕の倍はお年を召しておられたと思う。僕はその時18。大学に入ったばかりの新歓合宿で伊豆までクラスのみんなで出かけた時のことだった。紺色のナイロン製ジャンパーを着ていたことまで覚えている。
次にオジサンと呼ばれたのはその後、10年ほど経ったときだった。僕には以前から、全く関係ない団体さんが記念写真を撮っている時に通りかかると、ピースサインをする性癖がある。社会の迷惑分子かも知れないと思いながらも性癖なのだから仕方がない。
どこかの居酒屋だったと思う。大学生くらいの女性2人組が店の人に記念写真を頼んでいた。その後ろの席に座っていた僕は思わずピースを出してにっこり笑っていた。今時のデジカメではなく、撮ったその場で数十秒待てば写真ができ上がるポラロイドだった。やがて写真が浮き上がると、2人はゲラゲラ笑い出した。そして、僕の方に振り返って写真を見せてくれた。
『ほら、オジサンも写ってるよお』
30近かったのだから、オジサンと呼ばれてもいたしかたなかろう。
あれから20年経った。今では押しも押されぬ立派なオジサンになったと思う。しかしあれ以来、オジサンと呼ばれた記憶がない。そういえば見知らぬ人に話しかけるときに、オジサン、オバサン、オネエチャン、オニイチャン、ボク、など呼びかけの音を人々が発することを辞めてしまったように思う。間違った言葉を選んで呼びかけると、相手に対して失礼に当たるという意識があるのだろうか。
確かに今時、実年齢を聞くと信じられないほど若く見える女性が増えた。そういう人に向かってオバサンと呼びかけてはいけないのだろう。また見知らぬ若い女性に『オネエサン』と呼びかけるのもはばかられるようだ。だから必然的に、最初の呼びかけの言葉を省略したり、『あのお…』で会話が始まるようになった。あるいは、見知らぬ人に話しかけること自体なくなってきているのか。
最近は、見知らぬ若い人に何かを尋ねると、話しかけられてビックリしたような反応をされることが多い。
世の中、人を人と思わぬ犯罪が増えてきた。人を物とみなす風潮があるのだろうか。確かに都会ですれ違う人々が、人、人、人と意識していたら、疲れて壊れてしまう。
先日、にわか雨の中、傘も刺さずに杖を付いて歩いているおばあさんがいた。たまたま傘を持っていた僕は、目的地まで送ろうかと思ったけど、ちょうど仕事の都合で事務所に急いでいた。自分の中でつくった言い訳は、ヒッタクリに間違えられるかも知れない、だった。今でも後悔している。
飯野謙次いいのけんじ
NPO失敗学会副会長
1959年大阪生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了後、General Electric原子力発電部門へ入社。その後、スタンフォード大で機械工学・情報工学博士号取得し、Ricoh Corp.へ…
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