国民栄誉賞が決まった時の記者会見。伊調馨選手がレスリングは自分にとってどういうものか、という問いかけにこう答えた。
「レスリングがなければここまで人生をかけて臨むことはできなかったと思うので、本当に感謝しています」
競技のルールさえおぼつかない私でも、じーんときた。彼女の発した言葉がひとつひとつ、心に刻まれた。自分が物心ついた頃から取り組んできたレスリングに対して、節度ある距離感を持ち、敬意や愛情を表した言葉が「感謝」なのだと思った。
批判を覚悟でいおう。私は最近、「感謝」という言葉の乱発に辟易している。ツイッターやFacebook、ブログなどのSNSに書き込まれる「感謝」たちの、安易さ軽薄さ不確かさには、とまどいを通り越していらだちを感じることもある。
友に感謝、親に感謝、出会いに感謝、仲間に感謝、仕事に感謝、挙げ句の果ては、日々に感謝したり地球に感謝したりする。それは本当に言葉にして世の中に発信することなのだろうか。感謝すればするほど、自らのその気持ちの価値を下げていることにならないだろうか。そんなふうに思う。空気に値段をつけて売るようなもの、といったら伝わるだろうか。女たらしの「好き」とか「愛している」のほうが、まっとうに思える。そこには具体的な目的があるから。
もちろん、感謝することそのものを否定する気はない。私もブログやツイッターをさかのぼれば、何度も「感謝」を示している。その時々、対象に対して節度を持って、感謝をしたつもりだ。
「感謝」だけではない。「愛」とか「夢」とか「希望」とか、SNSでつらつらと発せられるこれらの言葉は、残念ながら記憶に残らないことが多い。多分、それらは何の限定もしていないからだと思う。
言葉の役割は、限定することである。状態や形状だったり、意思であったり感情であったり、雰囲気であったり景色であったり、それはもうさまざまな要素がある。そうした言葉の役割を放棄した言葉が、私は苦手なのかもしれない。なんとなく触り心地だけがよくて、何の限定もない言葉が。そう、それはたいてい「大げさ」で「空虚」になる。
感謝も愛も夢も希望も、生きていく上でとても大切なものである。だからこそ、その言葉の取り扱いには慎重になるべきだ。言葉のサイズ感というか、本当にそれを使うべき場面なのか立場なのか状況なのかを推し量った上で用いること心がけたい。
言葉は時代によって変わる。今まで何気なく使っていたものが特別な意味を持つ場合もあるし、逆もある。そうした変化に敏感でいたいといつでも思っている。
甘糟りり子あまかすりりこ
作家
玉川大学文学部英米文学科卒業。学生時代は資生堂のキャンペーンガールを経験。大学卒業後、アパレルメーカー勤務。雑誌の編集アシスタントを経て、執筆活動を開始させる。『東京のレストラン』『真空管』『みちたり…
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