昨年の秋のことだ。ぼくはベテラン編集者T氏の助言に、スランプを抜け出すことが出来た。当時、長男の闘病記の終章を書けずに苦しんでいた。T氏はぼくに、何度でも書き直してゆっくりやってください、と。
いま思えば、あせっていたのかも知れない。本になったときには一番の読ませどころではあるが、親としては悲しい出来事の連続だった。そう簡単には書き進めなかった。
時の流れは残酷なほど、心の痛みを和らげていく。長男は、誕生したその日からNICU(新生児集中治療室)に入院した。その期間を何とか詳しく書こうとしても、すぐには思い出せないこともあり、もう半年近くが経っていた。パソコンのキーボード上で、不自由な指の動きが止まってしまう。わが子との大切な忘れたくない出来事ばかりなのに、せつなくなる。
ダウン症と診断された当初は、針のむしろにいるような苦しみと、どんな季節なのかも判らない日々が過ぎていた。夢なら覚めてほしいと何度も願った。自ら重度の障害者であるぼくにとっては、見たくはない悪夢だった。
昼夜の違いさえ区別がつかないほど悲しみ、全身が張り裂けんばかりの、まるで深海の底を鉛{なまり}になってしまった足で歩き、無味乾燥した砂を噛むような毎日だった。
それなのに、いまとなっては正確に覚えていないことも多い。つい先日、仕事帰りの飛行機で、シンガーソングライター中村中{あたる}の『友達の詩』という歌を偶然、うるさい機内のイヤホンで聴いた。とつぜん鼻の奥が、つんとなった。いまにも涙があふれそうになった。
その歌手になるまでの、さまざまな心の苦しみや、男性として生を受けてしまった悲しみは想像もつかない。
彼女が、性同一障害であることは知っていたがその歌と、透明で澄んだ歌声のせいで、ぼんやりと見ていた窓の外の雲海が、涙でにじんだ。その詩の中に「大切な人は 見えていれば上出来」とあった。その詩の一節は、あまりにも賢治の最後の日々をあらわしていた。
わが子、賢治の入院期間は、見えていれば上出来だった。
ゆっくりでいい。T氏の一言で楽になり、それから約1ヶ月をかけて書き上げることが出来た。
人とつながっていることは、こんなにも大切なのかと痛感した。人はひとりでは生きていけない、という言い古された言葉も、あらためて肌身で感じ、忘れないスランプ脱出の思い出になった。
中村勝雄なかむらかつお
小学館ノンフィクション大賞・優秀賞 作家
現在、作家として純文学やエンターテイメント小説、ノンフィクション・異色のバリアフリー論を新聞・雑誌などに発表。重度の脳性マヒ、障害者手帳1級。 <小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞のことばより…
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