トヨタのブレーキが世間を騒がせている。
ちょうど日本のトヨタ自動車社長が、米国議会の公聴会に出席した日、私はサンフランシスコ空港から成田に向かう飛行機に乗った。それまでの現地法人社長の公聴会の様子や、アメリカマスコミの騒ぎを肌で感じていた。誰も口には出さないものの、もうそれは『鬼の首を取ったぞ』といわんばかりの加熱ぶりだった。
無理もない。自動車販売台数でトップをひた走っていたGMが、数年前にトヨタにその座を譲り、昨年はついに破産法適用を申請、国有化された。アメリカ人のプライドとも言うべき産業の王者を、その座から引きずり下ろした外国企業の製品に、命に関わるような不具合があったというのだ。
失敗学会には分科会がいくつかあるが、その中の一つに失敗体験ネットワークがある。20名余りが登録しており、自分達の中でメールを回覧して意見を交換している。そうそうたるメンバーで、この回覧メールが実に『深イイ』。当然、トヨタのリコール問題がしばらく取りざたされていたが、その回覧メールを通して、ハイブリッド自動車のブレーキシステムの仕組みを知って愕然とした。
以下は受け売りだが、ブレーキペダルの踏み込み角度をエンコーダで検出し、その位置によって油圧を制御し、大きく踏み込むと油圧も大きくなって制動力が大きくなる。さらにエンジンが無負荷状態のとき、回生ブレーキがかかって運動エネルギーをバッテリーに回収する。
驚いたのは機械式ブレーキが全くないことだ。これでは足で踏むレバーではあるものの、ゲーム機のジョイスティックと、さして変わらない仕組みに私たちは命を預けていることになる。いつからこのようになったのだろうか。
少なくとも、私が運転免許を取得した1970年代終わり、自動車のブレーキは機械式だった。すなわち、ブレーキレバーが「てこ」のようになっていて、踏み込むとその力がタイヤに取り付いたドラムやディスクに伝わり、摩擦で回転を止める力となった。このためブレーキシューが磨り減ると、同じ制動力を出すためには、より深くブレーキを踏まなければいけなく、目いっぱい踏み込んでもブレーキのかかりが悪いことのないよう調整が必要だった。軽くブレーキをかけているときには、路面の凹凸は直接ブレーキを踏んでいる足裏に伝わった。
サンフランシスコのケーブルカーには、通常ブレーキ2系統の他に、緊急ブレーキというものがある。通常ブレーキがどちらも壊れて車両が坂道を下がり始めたら、車掌がレバーを引き、路面に埋められたケーブルをつかむための棒が通る軌道の溝に、鉄のくさびを打ち込んで車両を強制的に停める仕組みである。
エレベータにも、高スピードで動き始めたら、回転子が遠心力で広がってワイヤーをつかんで制動がかかる機械式の非常ブレーキが取り付けられている。私たちのもっと身近にある自動車には、機械式はサイドブレーキだけでいいのだろうか。それは電子制御というものを盲信しすぎていないだろうか。
私たちの生活のいたるところにマイコン制御が入り込んでいる。100ボルトの電源プラグを差し込む電化製品は、ほとんどマイコン制御に頼っていると言っても過言ではないだろう。さらに大型の電車や飛行機までもマイコン制御で動いている。しかし、今一度考えてもらいたい。パソコンを使っていて、あれ、あれと思っていたら、画面がフリーズしてそれまでの編集の努力が無駄になるものの、電源ボタンを長押ししてリセットした経験は誰にでもあろう。
つまり、ICチップとその中を巡るソフトの組み合わせは時に不具合を起こすものである。ICチップというものは魔法の石では決してなく、幾多もの半導体が複雑に立体的に組み合わさって所要の機能を実現している。温度が120度を超えれば誤動作しやすくなるし、品質が粗悪だと回路の一部が短絡などしてとんでもない挙動をやらかすことがある。安いICチップには、たちの悪いことに、しばらくすると誤動作するものがある。デジタルな部品も、カタログに書いてある動作よりも本物はもっとアナログな動作をする。ましてやそれが人の作ったソフトの論理に従い、機械部品を動かすとなるとなおさらだ。
経験豊富な管理者は、人がどれだけ経歴を飾り立てても、履歴書を一瞥して面接でもすれば、たちまち人の本質を見抜いてしまう。その同じ管理者が仕様書や設計報告書となると、疑うこともせずにその内容を信じてしまう。信じないようにしようと決めるだけでは解決にならない。それより、徹底的にテストしなければならないと考え、その工程を製品リリースに組み込めばよい。そしてこの工程はどんな事情があっても、飛ばしてはならないと肝に銘じよう。
飯野謙次いいのけんじ
NPO失敗学会副会長
1959年大阪生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了後、General Electric原子力発電部門へ入社。その後、スタンフォード大で機械工学・情報工学博士号取得し、Ricoh Corp.へ…
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