駆け足で晩夏のアラスカを訪れた。アンカレッジからあのアラスカ鉄道で7時間余り。息を呑む風景を楽しむうちに列車は長年の夢の地であったデナリ国立公園に連れて行ってくれた。
ここデナリでは人間に関わるものは極限まで排除されている。公園に広がる広大なツンドラ地帯での人工物は一本の道だけ。その道を走る限られた数のバスツアーはなかなかの体験である。運がよければ、あちこちにこの地の主人公達を遠くから見ることになる。子育てに懸命のグリズリーの母親とその子グマ。悠々と草を食むカリブー。巨大な体が原野に目立つムース。急峻な山の斜面を白い点で彩る山羊の群れ。更には狼、野うさぎ、りす。それに、空に獲物を狙うはゴールデン・イーグル。道端にはやがて真っ白に変身するライチョウの一群。最後の圧巻はなんと言ってもマッキンレー山。富士山を横浜から眺める距離から見てもその姿が感動を呼び起こす。めったに全貌を見せない「偉大な山」を完璧に見ることが出来たのは幸運の一語に尽きるのであった。
実はアラスカを訪れたのは、デナリが主目的ではなかった。氷河を見に来たのである。ご多分に漏れず、ここアラスカでも温暖化で融解が進み、年々後退が進んでいる氷河の最後の姿を見たかったのである。スイス・アルプスなど高山にある氷河は数多く見てきたが、やはり圧巻は海に流れ込む氷河である。氷河は文字通り氷の河である。河であるから絶えず少しずつ下流へ向けて流れていく。そして最後は海に落ちていく。自然の摂理である。運が良ければ数十階建てのビルのような巨大な氷の柱がスローモーションを見ているかのように崩れ落ちる。氷の姿が海に吸い込まれるや否や、大量の海水が浮き上がり、その波紋がうねりとなって広がっていく。勿論、轟音も聞こえる。中には落雷に負けないものもあり、凄まじい音は氷河一帯の静寂を破って数キロ四方に響き渡るそうである。まるで何百年もかけて海にたどり着いた歓喜の声のようでもある。
が、温暖化の現実はもっと物悲しいのである。氷河を間近に見るため船は暫し停船する。その間、僅か10~20分。一昔前であれば停船中に崩壊を見るのは稀であった。ところが今ではその間に数回も見ることができるのである。自然の時計からすれば、まるで連続して起こっている崩壊は、海に達した歓喜の声ではなく、明らかに自然が身を削がれる嘆きの声である。
それだけではない。氷河ツアーの最中、こんな風景にも出会った。遠くに氷河を望む湖がある。雪に覆われた山々が湖を囲み、まさに絶景である。人工物は何一つ無いと思いきや、なんとその湖に一隻の船が現れた。ツアーガイド曰く、「あの船にはお客は殆ど乗っていないでしょうね」。では、なぜ遊覧船がと聞くと、かつて氷河はうんと近くまでせり出し、それを見るための遊覧船は大人気だったそうだ。
デナリでは、人間は「自然界への闖入者」として扱われる。自然を自然のままに守るには当然である。だが、自然の破壊は思わぬところからやってきた。地球温暖化である。その被害の一つが陸上の氷河の融解である。アラスカだけではない。冬に崩れる南米・パタゴニアの氷河。いま、大陸からの分離が懸念されている南極のウイルキンス棚氷。温暖化の現実はもう帰らざる河を渡ったようだ。
人類こそが地球環境を破壊する闖入者。そのことに我われは一体いつ気付くのだろうか。
末吉竹二郎すえよしたけじろう
UNEP金融イニシアチブ特別顧問
東京大学を卒業後、1967年に三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)に入行。1998年まで勤務した。日興アセットマネジメントに勤務中、UNEP金融イニシアチブ(FI)の運営委員メンバーに任命された。現在、アジ…