昨年の地球温暖化に関するコペンハーゲン会議、そして今年の世界各地での猛暑により、地球温暖化の重大性が再認識されています。今回はこの問題の歴史を振り返ってみます。
【地球温暖化問題の歴史】
フーリエ級数などで有名なフランスの数学者、物理学者であったフーリエが1827年に温室効果について研究を発表しています。さらに、チンダル現象で有名なアイルランドの物理学者であったチンダルは、1861年に二酸化炭素などが主要な温室効果ガスであることを発見するとともに、地球の気候を変える可能性を指摘しました。そして、スウェーデンの物理化学でノーベル賞受賞者のアレニウスは、1896年に石炭などの大量消費によって大気中の二酸化炭素濃度が2倍になれば地球大気の温度が5~6℃上昇する可能性があることを指摘しました。
このように地球温暖化の可能性を人類は19世紀から科学的に知っていましたが、当時は社会的な問題になることはありませんでしたが、20世紀の後半になってようやく、国連の場などで討議されるようになりました。これは観測により、人類が石炭や石油などの化石燃料を大量に消費することで、大気中の二酸化炭素濃度が増加すると顕著になったからです。
1972年にストックホルムにおいて開かれた国連人間環境会議で環境問題が議論されました。それ以降、地球温暖化を中心とする環境問題を分析する枠組みが整備されていきました。1985年には、地球温暖化に関して、科学者らによる国際会議が、オーストラリア・フィラハで初めて開催されました。ただし当時はまだ世界の人々の関心を集めるという状況ではありませんでした。
【1988年に大きな展開】
私は1976年に当時の通商産業省に研究者として入省し、水素エネルギーの研究に取り組みました。その折りに、水素は燃焼させても水しか発生せず、二酸化炭素を発生させないので、温暖化対策になるという事を認識しておりましたが、まさか今のように地球温暖化が大問題になるとは当時は想像もしませんでした。
1988年は地球温暖化問題に関して国際的な転換期でした。実は、1987年まではフロンによるオゾン層の破壊問題が世界的な関心事でした。国際的な討議が重ねられた結果、1987年にオゾン層破壊防止のためのモントリオール議定書が締結され、先進国はオゾン層を破壊する特定のフロン類を1996年までに全廃することになりました。
オゾン層破壊問題の解決の見通しが付いた年の翌年、1988年にアメリカ上院の公聴会においてハンセン博士が地球温暖化問題の重要性を証言しました。さらに大統領選挙において副大統領候補者同士の公開討論会でも地球温暖化問題が触れられました。1988年は、「オゾン層破壊問題の次は温暖化問題の解決だ」という国際世論を強く感じた年でした。
当時私は、航空宇宙技術研究所での研究会に集まった科学者や技術者とともに、二酸化炭素を分離回収して、酸素と炭素に分解する方法の研究を始めたばかりでした。目的は、将来宇宙ステーションに人間が長期に滞在する場合を想定し、呼気の二酸化炭素から酸素を得るシステムの開発のためでした。
1988年、国際的な課題となった温暖化問題、すなわち二酸化炭素問題の対策技術の研究に私は取り組む決意をしました。私の場合は、関連の研究を行っていましたので、決意したときが温暖化対策技術の研究を実際に開始したときになりました。その後、様々な国際会議や研究集会に参加した時、1988年から二酸化炭素問題に取り組んでいる事を話しますと、多くの科学者から驚かれました。世界で最初とは言いませんが、私は少なくとも日本で最初に二酸化炭素問題の対策技術の研究に取り組んだ研究者ではなかったかと思っております。
【世界をリードした日本】
1988年頃は、国民一人当たりのGDPが日本は世界一であり、ジャパンアズナンバーワンという本が読まれ、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国として好景気を謳歌していました。地球温暖化対策について、日本では国や民間で莫大な研究費が投入されました。それに対して、当時欧米の国々は経済の低迷期にありましたので、地球温暖化問題への研究投資は極めて少ない状況でした。その結果、国際的な場で日本からの研究発表が非常に多く、常に日本の科学者が世界をリードしていました。このような状況は、地球温暖化に関する京都会議が開催された1997年頃まで続きました。あの頃は、日本の科学者、研究者は世界から高く評価され、日本が国際社会で輝いていました。
さて、現在の日本の温暖化対策はどうかと言いますと、現状では京都議定書で約束した温室効果ガスの削減が到底達成できない状況です。約束を履行できないのは日本だけになる可能性があります。1990年レベルから25%の温室効果ガスの削減という目標を、昨年日本政府は国連で表明しました。この目標の実現の可能性を明確に示さないと、政治的に数字をもてあそんでいるとの国際的な批判が一層大きくなるでしょう。
1988年頃に地球温暖化対策の研究を開始した日本の技術者や科学者には、日本の優れた科学技術で人類と地球を温暖化の大危機から護るという気概に満ち溢れていました。現在、中国等の新興国の台頭で相対的に日本の国際的な地位は低下しています。日本人が1988年頃のような大きな目標と高い志を持てるような時代が再び訪れる事を私は願っております。
進藤勇治しんどうゆうじ
産業評論家
経済・産業問題、エネルギー・環境問題、SDGs、コロナ問題をテーマとした講演実績多数! 経済・産業問題やエネルギー・環境・災害問題、SDGs、コロナ問題などについて最新の情報を提供しつつ、社会…
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