先日、思わぬところからメールが入った。インドのダージリンである。その主はアージンという男性。僕が20年ほど前(ゲッ!もうそんなに立つのか?信じられない)、卒業旅行のときにバックパッカーとして旅をしていて、バスの中で知り合って泊めてもらった家だ。
当時、通信手段は手紙だけだったのに、いまや携帯のアドレスも書いてある。本当に便利になったものだと実感しながらも、あるひとつの忘れられないエピソードを思い出した。
インドの東北部ダージリン地方は、ご存知のように紅茶の産地だ。どんなところかというと、傾斜のきつい山合いに一面紅茶畑があり、村が山の斜面にはいつくばっている。町から何時間もかけてバスで登っていくのだが、TOY TRAINというおもちゃのような蒸気機関車が走っていて、観光名所にもなっている。私がバスでダージリンに向かっていると、前に座った真っ黒な男性がカタコトの英語で話し掛けてきた。
「ホエアアーユーフロム?」
「ジャパン」
「オー、ジャパン!ホエア ドゥ ユーステイ トゥナイト?」
「アイ ドント ノー イェット」
「カム トウ マイ ハウス!」
というわけで、私は彼の家にお世話になることになった。この村はSONADAというのだが、光栄なことに私が村を訪れた初めての日本人だったようだ。皆、珍しそうに玄関から顔を覗かせて僕をみている。当時は水道もなく、奥さんが水汲み場までバケツを抱えていき、火も薪をくべておこしていた。お風呂というものはなかった。私がわがままにも「シャワーを浴びたい」というと、洗い場のようなところで、奥さんが何度も何度もたらいにお湯を沸かしてくれた。しかし電気は通っていて、テレビはあった記憶がある。インドの奥さんはとても働き者で、夫にも献身的だ。そんな家で僕は数日お世話になることにした。
手でごばんを食べ、頻繁に甘~いチャイ(ミルクティー)をお茶がわりに飲む。この地方はネパールが近いせいか、味付けもカレーカレーしておらず、日本人の口にもあう。
ある晩、下のほうを見下ろすと、なんと家が燃えている。何事かと思って聞くと、なんと民族紛争でゲリラが火をつけたのだという。この時代にそんなことがあるのか…とタイムスリップしたような気分でいたら、翌日はなんと戒厳令で家から一歩も外に出れない。外には拳銃を抱えた兵士が頻繁に歩いており、子どもたちや女性はおびえて家の奥に隠れている。こんな内紛に思わず巻き込まれ、ドキドキしながら「この村で誰にも知らされずに死んでしまうのか…」とすら考えたものだ。
こんな状況なので、私は急遽、予定を変えて下山することになった。バス停までアージンが見送りにきてくれるという。旅すがらの僕にこんなに親切にしてくれて、もう感謝の気持ちでいっぱいだった。思い出にと、バックパックについていた日本のおじそうさんのキーホルダーをあげた。
いよいよバスが出発する時間だ。するとふとアージンが売店に走り、何かを買ってもどってきて「はい、これ」と僕に渡してくれた。一枚のチョコレートだった。彼らは経済的には決して豊かではない。なのに心は私たち以上に豊かだ。
「なぜ、見ず知らずの自分に、そんなに親切にしてくれるのですか?」
私は思わずたずねた。するとアージンはたしか、次のようなことを言ってくれた。
「ものをあげても死んでしまったら(天国に)持っていけない。でも、僕らの思い出は、天国に一緒に持っていくことができる。だから僕らは、僕らの思い出を一緒に天国に持っていって欲しいんだ」
これを聞いて、どっと涙があふれてきた。彼らのやさしさや心遣い、そして一枚のチョコレート。物質世界にどっぷり浸かっていた私にとっては、彼らとの出会いは忘れられないものとなった。
相手にモノをあげるのではなく、相手の心の記憶に残るような思い出をあげる。これは彼らの宗教観(ヒンズー教徒)からきているのかもしれないが、20年経ったいまでも強烈に覚えているということは、きっと天国へも一緒に持っていける最高のギフトに違いない。
いま、私たちは日々の生活で、相手の心に一生残るような贈り物をしているだろうか。もちろん、モノではなく、目には見えない思いやりや優しさだ。講演などを通じて出会った人に一生心に残るような「形のない贈り物」ができたらどんなに素敵だろう。初々しかった頃の自分を思い出させてくれる、なつかしいインドからのメールだった。
ダージリン。死ぬ前にもう一度、いってみようかな…。
<今月のレッスン:相手が天国に持っていける贈り物をしよう。>
川村透かわむらとおる
川村透事務所 代表
「ものの見方を変える」という視点の転換を切り口に、モチベーションアップ、チームビルディング、リーダーシップ、コミュニケーション、問題解決など様々なテーマで講演、研修を行う。自身の体験と多くの研修・講演…