この物語は、2030年に生きるある老人の独り言から始まります。
「2030年以降の日本はどうなっているのか?」
元ニューズウィーク日本版 編集長・藤田正美さんが日本人口の1/3が高齢者になると言われている2030年問題の実際を大胆に予測し、「社会保障」「医療と介護」「老後と貧困」という話題に切り込み、まさに2030年に生きる老人のリアルな生活の様子を老人の独り言という形で紐解いていきます。2030年という時代はどういうものなのか、想像しながらお読みください。
とにかく医療費の増え方はすごい。
今年の国民総医療費は60兆円を突破するとか言って大騒ぎだ。2015年ごろはだいたい40兆円だったから5割も増えた計算である。無理もない。だいたい総医療費のほぼ3分の1は75歳以上の老人が使っていた。今では75歳以上の割合がべらぼうに増えているわけだから、大げさに言えば、総医療費のほぼ半分は後期高齢者が使っているだろう。
かつてのような極端な薬漬けとか延命治療は減ったとされているが、いい薬も開発されているだけに、「無理なく」延命できるケースは増えていると聞いた。しかも最近のいい薬は価格が高いのである。年間の薬代が何千万円とかいうケースも決して珍しくはない。しかも再生医療という話になれば、それこそ1人当たりの治療費はべらぼうである。京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したiPS細胞にしても、期待されたほどコストは下がらなかった。
日本が誇る国民皆保険制度はもはや昔の姿ではない。何と言っても、保険組合の財政がもたないからだ。大企業の組合健保でも比較的平均年齢が若い組合は今でも何とかやっているが、高齢者の割合が高い大企業の組合や、中小企業中心の協会健保や退職者が入る国民健保の財政は大赤字だ。保険料を上げるわけにもいかず、給付を減らすわけにもいかず、税金から補填しているものの自治体は悲鳴を上げている。
大企業も雇用主の負担割合を軽減して欲しいと与党に陳情している。海外に進出している日本の企業は、日本国内での健康保険の負担割合が高く、海外の従業員から不満が出ているともいう。
昔は年齢に関係なく治療を受けることができた。80歳だろうが、90歳だろうが、病院に行けば治療してくれた。こんな話を聞いたことがある。ある病院で100歳の誕生日を目前にした患者の延命治療を家族が頼んできた。100歳のお祝い金が自治体から出るので、それまで生かしておいて欲しいとというのだ。担当した医師はさすがに断ったというが、もしその明らかに無理な延命治療をやっても健康保険や税金から治療費は支払われたはずだ。
それだけではない。多くの大病院が今でこそ紹介状がない場合は、一定の割増金を患者から取ることにしているが、かつては風邪を引いたといっていきなり大病院に行っても治療を受けることができた。いわゆるフリーアクセスである。そのため大病院は混雑し、医師は疲弊していった。
今では財政がもたないために、公的保険でカバーする年齢の上限が定められている。最初は欧米でも例があるように80歳以上は公的保険の対象とはしないという案も議論されていた。しかし老人層の反発を恐れた政治家は、さんざん抵抗した挙げ句、90歳以上は公的保険で治療しないという制度にした。もちろん自費で治療を受けることは可能だが、それまで1割負担の人が全額負担するのは大変だ。
「命にカネで糸目をつけるのか」という反発は強かったものの、財政が耐えられないことや、欧州などの福祉先進国でも同じだという説明をして何とか押し切った。もっとも90歳以上の老人を保険の対象から外したことで医療費がどれくらい節約でき、結果的に日本の「皆保険」がどれくらい「延命」できるのかというはっきりした試算はない。
大昔、老人医療費が無料だったこともある。その頃は、病院の待合室で「◯◯さんは今日は来ていないの?具合でも悪いのかね」という会話があったという冗談をよく聞いた。さすがにそれはまずいということで老人に自己負担分が課されたが、それでも今は75歳を過ぎれば1割だ。負担能力のある人はもっと払ってもらおうということになったが、それをどう実現するまでは平坦な道ではなかった。
マイナンバーが導入され、そこで所得が捕捉されるようになったのが2017年。そのマイナンバーとは別の医療IDが国民一人一人に付されて、医療IDと所得が結びつけられるようになった。それによって病院は、当該患者が被保険者であるのかどうか、所得がどの程度あって、全額免除なのか、1割負担なのか、それとも現役並みの3割負担なのかを確認できるようになった。
一昔前のような取りっぱぐれはなくなったが、中には所得が把握され、医療費の負担が大きいことに窓口で文句を言う患者もいる。所得がちょっと増えただけなのに、窓口負担が大きくなったのは不公平だというのである。
ただそれもこれも、日本の医療制度をいくらかでもサステイナブルにすることが目的だと思えば、仕方がない。今年からさらに医療費を節約するために、公的保険の被保険者の年齢上限を引き下げる案が検討されている。90歳を85歳にしようというのだ。この引き下げを効果があるものにしようと思えば、団塊の世代が85歳になる前にそこまで引き下げることがどうしても必要だろう。もともと私自身は団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者になる前に、公的保険の制限を行うべきだと主張していた。
しかしだいぶん数が減っているとはいえ、団塊の世代の票田はまだ大きい。まだ医療のおかげで500万人ぐらいは生き残っている。500万人で投票率が80%であれば、票の数で400万票。投票率が50%もいかない若い人に比べると、圧倒的に発言力は強い。投票権を18歳から付与することにしたが、この人たちはいま100万人ぐらいしかいない。もうしばらくしたら100万人を切るのだ。そこに投票率を掛ければ老人パワーがまだまだ強いことが実感できるだろう。
いわゆるシルバー民主主義である。実はこのシルバー民主主義のおかげで日本の政治はずいぶん歪んでしまったと思う。本来であれば将来を担う若い人のための政治が欲しいのに、議席を失うことを恐れる政治家は与党も野党も老人に厳しい政策を取るのを嫌がったからだ。
(次回に続く…) ※次回は7/10の更新を予定しています。
藤田正美ふじたまさよし
元ニューズウィーク日本版 編集長
東京大学経済学部卒業後、東洋経済新報社にて14年間、記者・編集者として自動車、金融、不動産、製薬産業などを取材。1985年、ニューズウィーク日本版創刊事業に参加。1995年、同誌編集長。2004年から…
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