この物語は、2030年に生きるある老人の独り言から始まります。
「2030年以降の日本はどうなっているのか?」
元ニューズウィーク日本版 編集長・藤田正美さんが日本人口の1/3が高齢者になると言われている2030年問題の実際を大胆に予測し、「社会保障」「医療と介護」「老後と貧困」という話題に切り込み、まさに2030年に生きる老人のリアルな生活の様子を老人の独り言という形で紐解いていきます。2030年という時代はどういうものなのか、想像しながらお読みください。
人口減少が始まってからもう20年以上にもなる。ピーク時には1億2800万人だった人口は今年1億1900万人ぐらいになったはずだ。まだ国政調査の数字は出ていないが、だいたいそのあたりだろう。この20年で900万人ほど減った計算だ。2015年に比べると6%強減ったことになる。このペースは徐々に加速する。今から15年後の2045年は2015年に比べると16%以上減ると推計されている。日本の人口が1億人を切るのはたぶん2050年をすぎるころだろうか。その節目がどのように報じられるかは想像に難くない。きっと大騒ぎになるのだろうと思う。もっともその光景を私が見ることはあるまい。
人口減少は、地方も都市も均等に進むわけではない。地方によってかなりペースが異なる。全国ベースでは2015年比6%強のマイナスだが、たとえば秋田県の人口減少率は20%を超えた。大雑把に言えば100万人が80万人になったのである。もちろん秋田の中でもばらつきがある。過疎の村はますます過疎になって、高齢化率も50%を超え、いよいよ成り立たなくなっている。
歳入は減るのに歳出は増える
人口が減ると地方にどのような影響が現れるのか。もちろん人口減少だけではなく、高齢化という要因もある。わかりやすく言ってしまえば、高齢化すなわち生産年齢人口(15~64歳)の減少によって、住民税が減るのである。もちろん地方の歳入は住民税だけではないが、このインパクトは決して小さくはない。しかもそれだけではない。住民が高齢化すれば、それに伴う自治体の医療や介護といった社会保障関連費も増加する。つまり自治体の財政は歳入面と歳出面からのダブルパンチを食らう。そんなことは予想できていたはずなのに、なぜか自治体は人口の流入を図ることに熱心だった。中には出産や子育ての費用を面倒見るということを謳い文句に、隣の市町村から若いカップルを「強奪」した自治体もあったほどだ。
自治体が苦しんだのは、それだけではない。それまでの人口を前提にしたインフラの維持管理が間に合わなくなってきたのだ。単純な話なのである。人口が減ったら、すべてのインフラを整備するだけの財源がなくなる。町の中に川が流れている。そこにかかっている橋は3本。しかし財源がないから1本は廃止して2本だけを整備することにしたい。町の当局はそう考えているが、目の前にある橋を廃止すると言われた住民にしてみれば、それは簡単に受け入れられる話ではない。駅やスーパーに行くのに、これまでは5分でよかったのに、これからは10分かかるという話だ。この話で重要なところは、誰かが損失を被って、誰かが利便を受けるという話ではないことだ。得をする人はいない。損失を分配することを受け入れなければならない。
コンパクトシティという構想があった。人口が増えているときには郊外に住む人が増えていたが、人口が減少する社会になると当然のことながら郊外をだんだん維持できなくなる。そのため少し集中して町をコンパクトにしたいというのである。橋の話のたとえで言えば、2本の橋を維持するからできるだけその橋を利用できる場所に住んでほしいというのが、行政側の希望だ。もちろん橋だけではなく、道路や学校、水道などなどあらゆるインフラも、人口ができるだけ密集しているほうが効率がよい。
ネックは私有財産?
しかし、ここで大きな問題がある。確か九州のある村の話だった。休耕田が増えてきて虫食い状態になってきたため、どこかの大学の先生に頼んで方策を練ってもらった。その教授は耕している田畑を集約して、みんな住むところもまとまったほうがいいという答を出した。ところがその地区の区長さんは、自分はそれでまとめる自信がないと言って区長を辞めてしまったのである。
2010年代だったか、北朝鮮に行ったことがある。いろいろ興味深いところがあったが、ある農村を見たとき違和感に襲われた。その農村の住宅が5階建てほどの集合住宅だったからである。日本では見かけない光景だ。聞けば、その集合住宅から毎朝どこかの田畑に「出勤」するのだという。今日はあそこの畑、明日は向こうの田んぼとチームとなって作業に行く。それが可能なのは「私有」という概念がないからだ(もっとも北朝鮮でも住宅のそばに家庭菜園ぐらいの限られた土地をもらって自分なりの作物をつくることは許されていると聞いた。農民はそこで換金作物を育て、市場に持って行く)。北朝鮮のような制度だったら、農地の集約など簡単な話だ。しかし農地が私有ではそうはいかない。
九州の話に戻る。農地を集約するにしても自分が耕している田畑を「休耕地」にされてしまったら、どういうことになるか。新しく割り当てられた休耕田の生産性を取り戻すためにどれだけの労力と資金が必要か。銀行は担保としていた土地が別の土地になっても資金を貸してくれるのか。自分の田畑と新しい田畑の「等価交換」は果たして可能なのか。等価であることを誰が保証するのか。問題点を数えあげればキリがない。地区の区長が辞任してしまったのも無理はない。
橋の話も同じような側面を持っている。土地は私有財産だ。しかも財産としての金額はそれなりに大きい。しかし目の前にある橋がなくなるとすれば、その財産価値は大きく変動する。駅から5分の土地と、駅から10分の土地では不動産屋がつける値段も変わってくるだろう。おそらく誰でも自分の財産の価値を減らされるのはあまり気持ちがいいものではあるまい。いくらかの補助金を出すから移転せよと言われても、そうおいそれと移転できるものでもない。これではコンパクトシティといくら掛け声を掛けても、なかなか進まないのも道理だ。
変わる政治家の役割
経済的な負担を誰かに強いるというのは政治的には難しい課題だ。消費税の増税を何度か先延ばしした首相がいたが、比較的支持率の高かったその首相さえ、増税は難しい選択だったのである。まして私有財産の価値を減じるような計画を推進するのは政治家にとって悪夢ですらある。戦後の高度成長期、政治家の課題は利益の分け前を国民にどう分配するかであった。しかし人口減少社会に入ってからというもの、政治家の役割は「負担をどう分配するか」に変わっている。これは早くから予想できていたことなのに、政治家は有権者にそれをはっきりと告げることはしなかった。理由ははっきりしている。選挙で負けるからだ。
これは世界の先進国に共通する問題だったと思う。日本が先の見えない縮小社会(オリンピックで一時的な高揚感は味わっていたが)に悩んでいたころ、欧州ではポピュリスト政党が勢力を伸ばしていた。EU(欧州連合)はイギリスの離脱で揺れ、アメリカの大統領になった不動産王の横やりに揺れていた。しかも多くの国は人口減少に直面し、労働力不足と移民に対する反発という難しい課題に直面していた。こういう状況ではポピュリストが台頭しやすい。誰かを標的にして(多くの国では移民や難民が標的になった)、大衆に分かりやすく問題の原因を示すことができれば、大衆の目はそちらに行く。20世紀の代表例はドイツにおけるナチスの台頭だ。しかしナチスはドイツの抱える問題を解決するどころかむしろ悪化させてしまった。
同じようにポピュリスト的な政策では世界の先進国が抱える問題を解決できない。これだけ複雑に絡み合った世界で、人の移動や貿易を制限して自分たちの国だけ利益を受けるようにできるはずがなかった。いま必要なのは、問題点を正確に把握し、有権者や世界の指導者に向かって、大きな負担に耐えるにはどうすればいいかを説くことができる指導者なのだとつくづく思う。しかしそういった指導者を選ぶのは迷える有権者であることを考えると、それは無い物ねだりでしかなかったのだろうか。
藤田正美ふじたまさよし
元ニューズウィーク日本版 編集長
東京大学経済学部卒業後、東洋経済新報社にて14年間、記者・編集者として自動車、金融、不動産、製薬産業などを取材。1985年、ニューズウィーク日本版創刊事業に参加。1995年、同誌編集長。2004年から…
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