読む講演会Vol.05
2016年04月01日
No.05 鈴木明子/“読む講演会”クローズアップパートナー
鈴木明子
プロフィギュアスケーター
目次
フィギュアスケートの選手が仲良しの理由
フィギュアスケートを始めたのは六歳のときでした。スケートが好きだったからこそ、ずっと続けることができたんだと思っています。始めて24年になるんですが、一度も嫌いになったことがありません。飽きることもなかった。でも、やっぱり好きなことでも楽ではないんですね。楽しいことばかりではありません。練習は、華やかな世界とは程遠いくらい地道です。毎日毎日、寒いリンクの上で練習をする。正直、苦しいです。辞めたくなったことはないですが、「どうしてこんなに練習しなくちゃいけないんだろう」「今日はやりたくない」と思ったこともありました。それでも、好きだったからこそ、ここまでやってくることができたし、好きだからこそ自分で最大限の努力をしてくることができたと思っています。
フィギュアスケートは、芸術性と技術の両方が問われる競技です。そこが魅力なんですが、競技となると順位が付きます。しかもフィギュアスケートは採点競技なので、人が採点をする。誰かよりも速く着いてゴールしたから勝ちだとか、タイムが出たとか、目の前にいる相手を倒すとか、そういったことではない。だから、自分がパーフェクトな演技をしても、必ずしも勝てるわけではないんですね。実際、納得がいかないこともあります。でも、採点競技では仕方のないこと。だから、選手たちは、自分自身の最高のパフォーマンスをずっと目指しています。
ソチオリンピックのメンバーもそうでしたが、「フィギュアスケーターたち、個人競技なのに、仲がいいなぁ」というイメージがあると思います。でも、実際には、誰かが代表になれないかもしれないような状況に、いつもあったんです。それでも、競技をするという場において、誰かと同時に走りだしたりするわけではない。それぞれが、あくまで自分自身の演技を追求していくしかなかった。「自分はジャンプが得意だからジャンプで勝負していくんだ」という選手もいれば、「私はこの音楽をこういうふうに表現したい。世界中の人に、どうやって自分が伝えたい思いを伝えるか」というのを重視している選手もいます。
個性が溢れていて、みんな、それぞれ自分の目標に向かって頑張っていて、その先に結果がついてくるという考え方。なので、「絶対にこの人に勝とう」という気持ちよりは、自分が目指して頑張ってきて練習してきたことをしっかり本番で出したい、という思いなんです。だから、一緒になって喜んだり、一緒になって涙を流したり、お互いを認め合って、尊重し合って、仲が良くなっていくんですね。フィギュアスケートの仲間たちは、そうやって、お互いのことをリスペクトし合えているんです。そして、そんな仲間たちとやってこれたからこそ、日本のフィギュアスケートは本当に強くなってきたなと思うんです。
一生懸命さは人を惹きつける。何よりも美しい
私は、バンクーバーとソチと二つのオリンピックに出ました。バンクーバーのときは初めてだったので、いわば怖いものなしでした。「当たって砕けろ」じゃないんですが、全力でやっていけばよかった。代表権が勝ち取れればよかった。でも、その後の4年間は辛かったです。人間は、守りたいものができると苦しくなるんですね。私の場合は、「代表になれるだろう」と言われた中で戦っていくことが、ものすごく苦しかった。コーチからはずっと、「人間は守りに入った時点で成長はなくなる」と言われていました。「ずっとずっと攻める気持ちがないとだめだ」と。
でも、どこかで「ここから落ちたくない」という気持ちが出てくるんですね。さらに若い選手がすごい勢いで出てきてくるので、「私はこの子たちから引きずりおろされてしまうのかな」という恐怖感がありました。そんな中で戦っていくのは、一番辛かった。私はものすごく心配性で、何事も不安がってしまうんです。何かにつけて、「失敗しちゃったらどうしよう」というのがまず頭に先に来る。「挑戦しよう。やってみよう。そこから考えよう」という気持ちになかなかなれない。長久保裕コーチから言われていたのは、「お前は石橋を叩いて叩いて叩いて叩いて、壊しちゃって渡れないで、結局後悔する」でした。それくらい心配性だったんです。
「オリンピックに行きたい」という目標を言いたいのに、「もし行けなかったら、どうしよう」「カッコ悪いな」「恥ずかしいな」「一緒に協力してくれた人たちを悲しませるのは嫌だな」とか、そんなことを考えてばかりでした。だから、なかなか自分の目標、夢も言うことができませんでした。自分の自信のなさもあって、自分を守ってしまっていた。大きく踏み出せなかった。ここが私のアスリートとしての決定的に弱い部分だったと思います。
でも、そんな弱い自分をまわりが分かっていてくれたからこそ、私が一歩踏み出せるよう、みんなちょっと前に行って、私を引っ張ってくれたんです。私のモチベーションの遥か遠くだと「無理、無理」と思ってしまうタイプだったので、ちょっと前に立ってくれて、「ここまで来ると、こういう世界が開けるよ」「ここまで行ったら、オリンピックへの道がこれくらい見えてくるんだよ」と明確にみんなが示してくれた。それによって、「じゃあ、頑張ったらできるかもしれない」というふうに、自分のモチベーションを持っていくことができました。
そこから、ずっといろんなことを経験して、「やっぱり、自分が声を上げないと」と思いました。自分が大きな目標を人に伝えたとき、「そこまで本気の目標なら協力してあげるよ」という人たちがたくさんいたんです。そのとき、「オリンピック行けたらいいなぁ」なんて適当に目標を置いて何も努力してなかったら、誰も助けてくれない。でも、「本当にオリンピックに行きたい。私はこれが最後のチャンスなんだ」と勇気を振り絞って言った。そんな本気の目標に対して、まわりが「じゃあ、絶対なんとかしてやりたい」と応援し、サポートしてくれたんです。どの世界でも、どんな人とのお仕事でも、一生懸命さは人を惹きつけるんです。一生懸命さは、何よりも美しいと思うんです。
オリンピックという舞台で、どうして世界中の人たちがこれだけ感動して、一緒になって喜んだり、悩んだりするのか、私は行くまでわかりませんでした。でも、行ってみて気付いたことは、オリンピックの場では、誰一人中途半端にやっている人がいないということです。自分の人生を賭けている。私たちにしたら、たった4分間です。あの中に、今まで一生懸命やってきたことをギュッと凝縮しているからこそドラマが生まれる。素晴らしい脚本家すら書けない、すごいドラマが待っているんだと思いました。世界中の人たちが、一緒になって喜んだり涙を流したりするのは、人間の本気が見えるからなんだと思います。適当に、ただリンクの上に立ってる人は、いないんです。
一生懸命さは、誰のどんな力にも勝てないと私は思います。だから、どんなお仕事に対しても、まずは自分が一生懸命やる。自分の本気を伝えていくことが、人を惹きつけ、応援してもらい、サポートしてもらえることになるのだと思っています。そして、それに対して感謝する気持ちを持っていれば、また相乗効果でエネルギーが高まって、よいものができていくんじゃないかと思います。
期日をはっきり決めるから、うまくいく
オリンピックに出場するまで、私は「世界中の人にもっと自分のスケートを伝えたい」と思っていました。しかし、私が24年間スケートをして、最後にたどり着いた先は、まずは身近な人を喜ばせることでした。世界中の人に、もちろん自分のスケートを伝えたい思いはありましたが、まず「私を支えてくれるコーチ、そして両親、そして会社の人たち、その人たちが喜ぶ顔が見たい」と思ったんです。「そこから、どんどん、どんどん広がって、さらに大きくなっていけば、世界中の人たちに繋がるんだな」と。だから、まずは自分の身近にいる人たちの笑った顔が見たいと思ったんです。シンプルなところに最後は行き着いていました。
「もしオリンピックに行けなかったら、悲しませちゃうんだろうな」と思っていましたが、私のまわりにいる人たちからは、「いや、サポートしたいからサポートしてるだけなんだからね」と言ってもらえたこと。それが、余計にプレッシャーを感じることなく、最後までできた理由だと思っています。
実は私は、バンクーバーオリンピックでオリンピックは最初で最後と決めていたんです。でも結果的に、その後4年やってしまいました。フィギュアスケーターというのは年齢との戦いで、20代前半で引退を迎える選手が多い。だから珍しかったのか、年齢を連呼されることが気になり始めました。社会で言ったら、全然まだまだ未熟者の年齢です。スポーツの世界でも、山本昌さんとか、葛西紀明さんとか、ものすごい先輩たちがいるのにも関わらず、27歳で最年長の記録だと言われてしまって。
ただ人間は、前例のないことにチャレンジしていくのは、ものすごく勇気の要ることなんです。石橋叩く系の私にとっては、ものすごくしんどいことでしたが、やっぱり未知の目標に自分が挑戦していくのは、私自身だけでは絶対にできなかったことです。ずっとコーチがお尻を叩いてくれていたので、ようやく前を向いてやっていくことができたと思っています。
私は当初、その後の4年というものが考えられなかったので、「一年一年やってみて、一年後にシーズンが終わったら、満足したところで辞めたいな」と思っていました。でも、今だからこそ言えるんですが、満足したところで辞めるというのは自己満足なんです。「自分が満足できたところで辞めたい」「いい演技ができたら辞めたい」というのは際限がない。ゴールがないんですんですね。人間って、ゴールがないものに対して、全力で走りきることがいかに難しいか、辞めてから気付いたんです。
人間は、期日があるから、実はお仕事も宿題もできるんです。それが辛いことであればあるほど、人間は必ず先延ばしにしたくなる。私自身も実際にゴールが見えなかったので、頑張ってはいました。もちろんいろんな成績はちょっとずつ残せてはいたんですが、頑張り切ることができなかった。「最後のゴールは見えないけど全力疾走で走りなさい」と言われたら、どうしても手を抜きたくなってしまうものです。抜いてしまう、全力で走り続けることというのは無理なんです。それで私は結果的に4年というゴールを1年前に決めたんです。最後、ソチのシーズンで、と期限を決めて、「あと1年で自分は競技生活から引退をしよう」と決断しました。
この決断は、実はするまでが怖かった。決断すると、6歳から365日中360日くらいずっと氷の上にいて同じ毎日練習してきた毎日が終わるわけです。もちろんプロスケーターとしてやっていく道はあったとしても、私は23年間の競技生活が変わるのが怖かった。普通の私と同い年の子たちは、大学を卒業したら、社会人になって、そこから結婚して、出産して、といろんなターニングポイントがありますが、私は一切なかったんです。もちろん大学入学、卒業とか、いろいろある中でも、同じスケートという世界の狭い中で生きてきて、そこからすべてが変わることが想像できなかった。「自分は一年後、どうやって生きていくんだろう」と。
でも、「ソチオリンピックに出場できてもできなくても、私は辞める」と決めました。「もう引退をしよう」「自分の期限はここまでだ」と。勇気を持って決断したことに対して、「じゃあ、一年後、自分はどうしていたいか」を考えるようになりました。そうすると、まずオリンピックに二大会出て、さらにメダルが取れたら、もっともっと、辞めてからの自分の仕事の幅が広がると思ったんです。「やりたいと思ったことができるんじゃないか」「こういう人に会いたいと思ったら、こういう人とお仕事がしたいと思ったら、できるんじゃないか」と。自分のキャリアにどんどん繋がっていくんだ、と。
「無駄にしない」と思ったら、必ずそれは生きてくる
私は本当に弱い人間だと思っています。18歳のときには摂食障害という病気になったこともあります。そこまでは、できないくせに完璧主義者でした。「自分の器よりも、まわりには大きく見せたい」というタイプの人間だった。だから、すごく苦しかったんですね。それが、摂食障害という経験をして、当たり前にできていたスケートができなくなって、日常生活がうまく送れなくなって、命を失うんじゃないかっていうところまで行って初めて、「自分は自分一人では何もできなくて、まわりの人たちがサポートしてくれるからこそ、自分で立っていられるんだなぁ」と気づいたんです。今までは弱さに目を背けたかった。強い自分は好きだけど、弱い自分って、蓋をしたかった。
でも、どんな自分も自分自身なんだから、とにかく弱い自分とも手を繋いで歩いていく。そんなイメージを持って、まずはどんな自分であっても、一緒に人生を歩んでいくんだ、という気持ちを持って歩むようになりました。自分を大きく見せなくなってから、すごく楽になりました。「弱さを見せたら、人から嫌われちゃうんじゃないか」と思って生きていたんですが、そうやっていきがるのはやめました。自分自身の、ありのままのその自然体でやっていくことにしたんです。
それに対して、まわりの人たちがサポートしてくれて、それに対して、今度は自分がどう感謝の気持ちを伝えるか、ということがやっぱり一番大切かなと思うようになりました。弱っている時に助けてもらったとき、「あぁ、お返しできなくて申し訳ないなぁ」と思いましたが、「それは自分が元気になった時に返せばいいんだな」とも思いました。病気のとき、人に何もできなくて、ただただサポートしてもらうばっかりで、ものすごく心苦しかった。「こんな自分に対して、みんながこんなにしてくれるのに、私は何もすることができない」って思っていました。
実は、このとき本当に遠回りしたんですね。私が目指していたトリノオリンピックは、バンクーバーの4年前のこと。その時にはまわりから、「もったいなかった」と言われました。「いい時期を逃してしまった」と。それは、「その先には、もうあなたには未来がないよ」と言われたのと同じように私は受け止めました。そのときは悔しかった。自分自身に対して悔しかった。「こんなことで、絶対に私は負けない」と思いました。「遠回り」と言っている人たちに、あと何年か後には、「あの経験があったから、私、今があります」と、絶対、胸を張って言えるようになるまで頑張ろうと決めました。もともと、ものすごい負けず嫌いだったので、それを心の中に持ち続けてやっていました。
もう病気から12年経ちますので、当時の自分に、「12年後、こんなに明るい未来が待っているよ」と言っても、全く信じられなかったと思います。それでも、「あの時の私は遠回りではなかった」と、胸を張って言えます。あの時の病気がなかったら、私のオリンピックはなかった、とさえ思っています。そして、今みたいに、競技を辞めてからプロスケーターとしてやっていく道もなかった。だから、「あのとき『無駄にしない』って、自分で決めて、そこからコツコツ頑張ってきてよかった」と思っています。
やっぱり、悩んでいるときとか、失敗しちゃっときって、なかなかプラスにとらえることができないんですよね。「なんでこんなふうになってしまったんだろう」と思うことは今も多々あります。でも、「きっと、自分の未来においては、この経験が必要だったんだな」と、失敗しちゃったことも、うまくできなかったことも、そして、なんか悩んで泣いたことも、すべてが自分の今後に繋がっていくと思って、「無駄にしない」と思ったら、必ずそこは生きていくんだなと思っています。
心が弱い時に氷の上に立つと、弱いままの演技が出る
オリンピックを終えてプロになって、状況は大きく変わりました。「プロになったら、もっと楽に滑れるのかな」と思っていました。ルールもないですし、自分が伝えたいものを伝えられる。だから、「もうちょっと楽にできるのかな」と思ったら、今度はお金を払ってアイスショーを見に来てくださる方がいるんだから、やっぱり失敗できないわけです。となると、今度は、また自分の悪い癖で、「失敗したくない」というのが出てきてしまって、何度も失敗を重ねました。「やっぱり、守りに入っちゃだめなんだな」と思う気持ちと、「うまくやりたい」という気持ちと、そして「人に伝えたい」っていう気持ちがいつも入り乱れていて、その自分を受け入れ、葛藤しながらアイスショーという世界を続けています。
それでも、続けていけているのは、やっぱりスケートが好きだからです。そして、「このスケートというものを通して、何か人に伝えたい」という思いがあるからです。私は出会いがあって、スケートで今、自分で伝えていますが、これはどんなお仕事も一緒だと思うんです。華やかな世界のように見える中で、スポットライトを浴びていますが、それは音響さんがいたり、スポットライトを当ててくれる照明さんがいたり、いろんな役割がある中で、ただ表立っている一人としか私は思っていません。
それが主役とか、そういうわけではなくて、どんなお仕事でも、どんなところでも、誰でも、一人ひとりが私は主役だと思っています。どの人もいなければ成り立たないわけで、その気持ちを大切にして、どんな人たちにでもやっぱり感謝の気持ちを持って、「一緒にみんなで作り上げているんだ」ということを忘れないようにしています。そうすることで、孤独にならなくて済むんです。私だけがこの氷の上だけでやっているのではなく、「みんながいる中で、私はここでできているんだなぁ」と、自分ではいつも心に留めています。
そして、私は病気の経験から、「何事も当たり前じゃないんだ」ということを学びました。どんな緊張した場面でも、最終的に助けてくれたのは、「スケートができて幸せなんじゃないか」「感謝しよう」と思う気持ちでした。オリンピックの窮地に立たされた場面でも、最終的にはそれが救ってくれました。やっぱり感謝する気持ちというものは、絶対に人に伝わると思うんです。そして、私は氷の上では、絶対にごまかせないと思っていました。氷の上で私が演技するとき、心が弱い時に氷の上に立つと、弱いままの演技が出るんです。自信があると思っていくと、自信のあるような演技ができる。それは、どんなに取り繕おうとしてもごまかせないんです。氷の上は、鏡のようなものだから。
やっぱり一生懸命やって、嘘偽りない自分で氷の上に立たなくちゃいけないんだな、と思います。それは、人との対話をするときでも同じです。偽ろうとしても、絶対にばれてしまうものだと思っています。どんなお仕事に対しても、きちんと準備を重ねていく。自分の真っ直ぐな気持ちで向かい合っていく。今、いろんなお仕事をしながらも、「これって、フィギュアスケートだけじゃないんだな。競技をする中だけじゃないんだな」と実感しながら、今はいろんなお仕事をしています。いろんな場所で、いろんな人たちに会って、自分は本当に吸収率の高いスポンジだとイメージしながらいろんなことを吸収して、チャレンジしています。そんな中で、また自分自身が成長していくものを、そして、目標というものを掲げながらやっています。
一年後にどうなっていたいか、を逆算して考える
「大きな夢や目標を私は言うのが苦手」と言いましたが、だからこそ、リアルに現実的に、自分ができるものを計画するようにしています。これは、先生からずっと言われていて、競技の時から続けてきたことですが、「1年後にどうなっていたいか、年間で考えなさい」と。「じゃあ、1カ月毎に、自分は何をしなくちゃいけないのか」を、ずっと手帳に書いていたんですね。今日、今月のテーマみたいに。そのことによって、「自分が、どうやったら1年後なりたい自分になれていくのか」ということが、明確になっていきます。それはすごくおすすめできる目標設定の仕方です。
私はもともと「0か100か人間」でした。「じゃあ、1カ月後、これできなかったから、もうだめだ」と。ダイエットなどでも、よくありがちだと思うんですが、そうじゃなくて、「1カ月、100パーセントは行かなかったけれど、70までは到達できたな」と思ったら、70できたことは変わりないんです。あと、30足りなかったから、100には届かなかったけど、じゃあ、次の月からは、その70からもう一回積み重ねていけばいいわけです。リセットボタンでゼロになるわけではない。そこまでの経験を活かして、「じゃあ、30足りなかったところって何だったのか」をまた考えて、次の月に自分がどうなっていくか、目標を少しずつ進化させながらやっていく。私は、これでオリンピックまで行ったんです。
すべての月間の目標がかなったわけではないですが、最終目標がかなった。だから、しっかりとした明確なモチベーションをきちんと保ち続けていくことです。祈るだけでは何も夢はかなわないんですよね。「イメージトレーニングの練習だけじゃ、お前たちは何もできないんだぞ」「お布団に入っていても練習してないんだから」と、ずっとコーチからも言われていました。自分がどうアクションを起こしていくか、きちんと明確にする。そして、自分だけではなく、客観視することもものすごく大事です。
自分は一生懸命やってるつもり、というのもとても多いんです。私自身も、自分自身、頑なに、「だって、私はやってるもん」って言い続けたことがありました。でも、それに対して、「いや、できてないじゃないか」と言ってくれる人のアドバイスがあった。お勧めするのは、それを鵜呑みにするのではなく、「自分にとって何が必要なのか」、エッセンスとして取り入れていく、ということです。それが自分を高めていく上ではとても大切なことなんです。
そして、大人になればなるほど、いろんなこと言ってくれる人は、本当に貴重な存在になってきます。子どもの頃は、いろいろ怒ってくれる人がいたけれども、怒られるということがなかなかなくなってきてしまう。「あ、言ってくれるってありがたいことなんだな」と思いながら、もちろん「嫌だな」って思うこともたくさんありましたけど、それでも、「言ってもらえるうちが花だな」と思うようになりました。今はそれを、自分がもっともっと高めていくためのエッセンスだと思って、「おいしくなるように」というか、「旨味が増すように」と思って、自分ではいろんな意見も取り入れながらやっています。
人生って、想定外だからこそ面白い
鉄のように、折れないような棒が強い人間だと思っていました。でも今、自分の目標は、しなやかにしなれる、いろんな意見に耳を傾けることができて、自分に必要なものを取り入れて、最終的に真っ直ぐに戻ってこられる柳のような、そんな真の強さではないかと思っています。そんな女性を目指して、今後、どんなチャレンジをしていくかわかりませんが、今までの自分の人生を歩んでいきたいと思っています。
オリンピック出場も含めて、すべてが想定外だったんですね。人生って、想定外だからこそ面白いのかなと思っているので、今後、自分にどんな想定外のことが来るのか、楽しみにしようと思っています。そして、いろんなチャンスって、どこにでも転がっていると思うんです。でも、そのチャンスをつかむための準備が、日頃の行いだと思っています。きちんと準備をすること、練習をしていくこと、それによって、来るべきチャンスのボールがきちんと見えて、それを打ち返すことができるんだと思います。
その日々の鍛錬がなければ、ボールが飛んできたり、チャンスが飛んできていることすら気付かないんです。そのボールがきちんとホームランになるかは、やっぱり自分自身にかかっていると思います。だから、チャンスは来ないわけではなくて、ただ見えてないだけだと私は思っています。日々の準備や練習で積み重ねていったものが、きちんとチャンスをつかむことにつながるんです。これからも私も、みなさんと一緒に頑張っていこうと思います。実は競技もそうですし、プロもなんですが、全部メイクもヘアも自分でやるので、これからそういったことも、いろいろお勉強しながらやっていきたいと思っています。
(文:上阪徹)
鈴木明子すずきあきこ
プロフィギュアスケーター
6歳からスケートをはじめ、15歳で全日本選手権4位となり注目を集める。10代後半は体調を崩し、大会に出られない時期もあったが、2004年に見事復帰。2006-2007ユニバーシアード冬季大会で優勝。2…
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