読む講演会Vol.18
2019年12月01日
No.18 三浦雄一郎 /“読む講演会”クローズアップパートナー
三浦雄一郎
プロスキーヤー
目次
99歳でアルプスの氷河をスキー滑降した父親
昭和7年に生まれました。今は87歳になります。青森生まれです。父親、三浦敬三は名の知られた人でした。青森でスキーを覚え、八甲田山の主と言われるぐらいスキーに熱中し、99歳、白寿の年にはヨーロッパアルプスの一番高い山、モンブランのバレブランシュ氷河をスキー滑降し、101歳までスキーをやりました。
実は90歳から99歳までの間に、スキーとトレーニングで3回も骨折していますが、スキーが大好きで「なんとか復活して、スキーを楽しみたい」「治れば、またモンブラン滑れる」と言い、見事復活。やはり人間の気持ちは大事なんですね。
何かやってみたいという夢の力は怪我、病気を治せてしまう。そういう力があるんじゃないかと思いました。スキーをやりたい、モンブランを滑りたい、この一心でしたから。
こんな親父の跡を追って、子供の頃からスキーを続けてきました。
夢が叶わない中で落ち込む、青春時代の始まり
大学はできればスキーのできる月謝の安い学校がいいと、北海道大学を希望しましたが、冬はスキーに明け暮れ、夏は津軽半島に潜り込んでは、崖をよじ登ったり海へ潜ったりと、ほとんど勉強には関係ない高校生活を送っていたので、入れるわけないと思っていました。試験を受けに札幌に渡った時も、「まだ雪があるからスキーができる!」と、大学受験にスキーを担いでいきました(笑)。そんなやつがいるかと同級生たちに怒られたんですが、どうせ滑るんだから、スキーも滑ってもと(笑)。
ところが、どういうわけか合格したのでスキーを担いで北海道へ渡りました。一生懸命スキーをやって、できたらスキーでオリンピックに出たいと思いました。当時、第一次南極観測隊の準備をしている最中で、山岳部の連中は「南極行くんだ」と言っていたので、
僕もその端っこに入れてもらって、「自称南極観測隊候補だ」と言っていました。ただ、これは見事に外されたうえ、オリンピックもダメでした。夢が叶わない中で落ち込む青春時代の始まりでした。
俺のambitious、俺の大志は何だろう
卒業して僕は獣医になりました。「将来はノーベル賞でも貰うか」と研究生活を送っていましたが、ある時北海道大学に「Boys be ambitious」、「少年よ、大志を抱け」などという言葉を残してアメリカに帰った、ウィリアム・スミス・クラーク博士がいたのを思い出しました。
彼の言葉に惹かれ、改めて、俺のambitious、俺の大志、これはなんなんだろうと、もう1回考え直してみたんです。その時スキーや山の分野で、世界で誰もやらなかったことをやれるんじゃないか、と思いました。研究室に残って将来は教授になるとか、そういう人はいっぱいいる。じゃあ俺は、俺にしかないスキーをすることだ、と。
スキーもウェアも持たずに海外のプロスキー選手権へ
1962年、第2回の世界プロスキー選手権に、ほとんど飛び入りみたいな形で参加しました。当時、トニー・ザイラーという選手が、オリンピックで金メダルを3つ取っていて、彼を中心としてオリンピックや世界選手権で活躍した人たちが50人ぐらい集まり、賞金レースを始めたんです。
僕はなんとかここに出たかったので、単身アメリカの選手権に飛び込んだ。その選手権で、目の前で世界の超一流選手が、時には失格したり、転倒して飛ばされるのを目の当たりにして「人間だから一流でも失敗するんだ」と思いました。
同時に、「なるほど、超一流というのは自分の限界を超えようとしてるんだ」ともわかった。常に自分の可能性を最大に引き出して、限界を超えようとしていた。それなら俺にもできるはずだと思ったんですね。「よし、これからスキーを履いて、世界で誰もやらなかったようなこと」をやろう、と。
それから僕の冒険、挑戦の人生が始まり、富士山直滑降、人類初エベレスト8000m地点からの直滑降、さらに世界7大陸の最高峰からのスキー滑降という まだ誰もやったことのなかった未知の世界での挑戦を繰り返し、新たな時代を切り拓いてきました。
60歳、もうそろそろ引退しようと考えた
1966年、富士山の直滑降が終わって、エベレスト、それから北極、南極、世界の7大陸へと命懸けの挑戦を続け、気が付いたら60歳。その頃、植村直己さんがマッキンレーで行方不明になり、山田昇さんもマッキンレーで遭難。加藤保男さんはエベレストに2度行って行方不明。長谷川恒男さん、小西政継さんと、当時日本が誇る世界的な登山家・冒険家が、次から次へと命を失っていました。僕は彼らよりも10年ぐらい年上で60歳でしたが、運良く生き延びてる。それで、もうそろそろ引退しようと思ったわけです。
メタボ、狭心症、500mの山に登れないショック
僕の生活のベースは北海道の札幌。
ビールは美味しい、焼肉はおいしい、ジンギスカンも食べ放題!引退を考えてからは、若い連中を集めてはよく飲んで食べて「1回の食事でステーキを1㎏ぐらい食べる」などと変な自慢をしていました。 その結果がメタボ。さらに、狭心症の発作がおき病院に行くとひどい状況で、この調子だと余命3年もないぞと脅されました。僕自身、発作を経験していつ死んでもおかしくはないとは思いながら、このままくたばるのもどうかな、と思いました。
ふと、周りをみると、90を超えた父が99歳でモンブランを目指している。2度のオリンピックに出場した息子(豪太)が現役選手でがんばっている。間にいる僕はいったいなんなのだ・・・そう情けなく思い、「それなら70歳でエベレストを目指そう!」と決意をしたわけです。
そこで、65歳になって山を登る足腰・体力、これがどれぐらい残ってるんだろう、と自宅近所にある500mの藻岩山試してみることにしました。緩い登山道です。幼稚園の生徒がキャーキャー言いながら登る。ところが、5分も登らないうちに息は切れ、脂汗が出て、足もつりそうになる。それでも頑張って這いずりながら、登りました。 そのとき思ったんです。もう65歳、この500mの山も登れなかった。でも、エベレストを登ろうじゃないか、と。
僕はもともと何処かおかしなところがあるんです。非常に無責任な楽天主義者といいますか。この癖がついてまして、なんとかなるじゃないかと。なんとかしていけよと。
足首に重りを付け、重い荷物を背負って生活
健康法には2種類あると思いました。ひとつは、健康を守りましょうという、守りによる健康法。もうひとつ、攻める健康法です。 守りの健康的なことはやってました。朝の散歩、ちょっとしたラジオ体操、ストレッチ、バランスの良い食事。でもこれだけではエベレストには登れない。
じゃあ、攻める考え方を持った健康法をやって、まずメタボをなくそうと。同時に足腰を鍛えて目標として、富士山を登れるようにしてみよう。そこで考えたのが、足首に重りを付けて生活してみることでした。アンクルウェイトです。足首にぐるりと巻く。1年目、1㎏ずつの重りを両足首に付けました。出かけるときには、10㎏ぐらいの荷物を背中に乗せました。散歩したり、旅行したり。1日、朝から晩まででもないですが、足に重りを付けて基本的な生活をする。
これをやって1年目に1㎏ずつ、2年目から片足3㎏ずつ、3年経って片足5㎏ずつにしたんですね。背中には10㎏です。そして70歳寸前になって、片足に10㎏ずつの重りを付け、背中に30㎏を背負いました。
そうしてついに、70歳、75歳 エベレストに登るだけの体力を再び手に入れたのです。
頂上に行くと、10分で死んでしまう世界
今度は80歳でのエベレストです。世界で一番高い標高8848m。今、私どもがいるこの部屋では、酸素がほぼ21%あり、その酸素のおかげで元気よく生きている。
ところが、標高が上がるにしたがって、気圧も下がり、同時に酸素の濃度も下がっていきます。
5000mまで行きますと、酸素は10%で半分になります。これ以上の高さになると、人間の生存限界と言われます。8000mまでいきますと酸素、気圧が3分の1。この部屋を密閉して空気を抜き、エベレスト山頂同様3分の1の酸素濃度・気圧にすると、5分も経たないうちに僕も含めて1人、2人と気を失います。10分ぐらい経つとほとんど死んでしまいます。こんな世界です。
山の世界では「デスゾーン」「死の世界」と呼んでいます。あとは体質、体力、年齢にもよりますが、エベレストの山頂に辿り着くと、20歳くらいの登山家の肉体年齢が、ほぼ100歳に近づくとも言われています。
それを僕は80歳で登るとなると、150、160歳の肉体年齢になる。その年齢で生きている人は今の世の中、誰もいないわけです。まさにそんなところへ行きました。
元気に長く生きることは、それだけでも社会貢献
そして87歳になった今年、僕は以前若いころに登った南米最高峰アコンカグア(6961m)に挑戦しました。しかし6000m地点でドクターストップがかかり下山。
― でも命があればまた次の挑戦ができる。
どうしてこんな風に思えるか自分で考えてみたんですが、やっぱり人間というのは、何もなければぶらぶら美味しいものを食べて、ラクなほうがいいわけです。しかし、そうすると歳をとればとるほど、やはり身体も心もメタボになる。今は歳に負けないで元気よく生きる、アンチエイジングがキーワードになっています。そのためには、運動する。ただ、運動も嫌々やっても、あんまり意味がない。面白いとか、ぜひやってみたいということがあれば続けられ、運動効果も期待できると思います。
僕の場合も65歳で余命3年と言われ、500mの山を登れなかった。あのままいたら、とっくに死んでいたと思います。でも、エベレストに登るという夢を持ったことで変われた。別にエベレストでなくてもいい。大切なのは夢をなんとか叶えたいという思い。人生元気よく、そして歳をとっても、いきいき生きるためには、まず食事、運動、そして何か目標を持つことです。生きがい、何か「これをやってみよう」という目標があったら、長生きでき、元気に生きられる。元気に長く生きることは、それだけでも社会貢献です。夢に向かって歩き続ける、そんな生き方をしたいと、そう思ってます。
三浦雄一郎みうらゆういちろう
プロスキーヤー
1932年青森市に生まれる。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時の世界新記録樹立。 1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8…
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