読む講演会Vol.01
2015年07月07日
No.01 鈴木政次 /“読む講演会”クローズアップパートナー
鈴木政次
“ガリガリ君”の開発者そして育ての親
目次
会社の主力商品が売れなくなった、という大ピンチ
社名には乳業という名前がついていますが、『ガリガリ君』を作っている赤城乳業は、アイスクリームの専門会社です。現在、社員は340名。私たちがパートナーと呼んでいる工場のパートさんも入れると1000名近い従業員がいます。2003年の売上高は185億円でしたが、2012年は377億円。2014年は392億円で、今年は400億円を超えようと頑張っています。企業メッセージは「あそびましょ。」。アイスクリームは食品の中では、なくていい存在です。主食じゃない。だから生活の中で、みなさんが癒されたくなったり、ホッとする瞬間を捉えていこうと考えています。本社は埼玉県の深谷市にあります。『ガリガリ君』以外にも、『ガツン、とみかん』、『旨ミルク』、『BLACK』、『ドルチェTime』など、いろんな製品を作っています。赤城乳業を大きく成長させたのは、1964年に発売された『赤城しぐれ』でした。ロングセラーとして売れ続けたのですが、大きな転機がやってきます。これが売れなくなってしまったんです。1973年、オイルショックの影響でした。
1973年10月に始まったオイルショックは日本中をパニックに陥れました。石油は一年で60%も値上がりしました。教科書にも出てきたりするトイレットペーパーの買い占め騒動なんて本当に起きたのか、と言われますが、本当に起きたんです。実はそれまで、アイスクリームの業界には、棲み分けがありました。大手さんが乳製品、それ以外の小さなメーカーが氷菓子でした。ところが、この年からこれが変わるんです。大手さんが氷菓子に一気に参入してきた。大資本が大量生産で安価に作ってくる。これでは小さなメーカーはとても太刀打ちできません。こうして会社は大ピンチを迎えたんです。ヒット商品は出せない、『赤城しぐれ』も売れない。工場は動かなくなりました。メーカーにとって、工場が動かないくらい恐ろしいことはないんです。私は「これは倒産するかもしれない」と思いました。なんとかしないといけない。そこで、会社に入ってまだ数年だった私に厳命が下りました。子どもが遊びながら片手で食べられる商品を作れ、と。
『赤城しぐれ』がヒットしていた頃は、片手でものを食べるなんて行儀が悪い、と言われていた時代でした。立って食べるのも同様です。これが時代の変化によって、だんだん変わっていくんですが、当時はとんでもないことだったんですね。そんな時代ですから、片手で食べられるものを作れ、と言われても、何をやっていいかわからない。かき氷をそのまま凍らせたくらいでは、うまくいくはずがない。そこで私が考えたのが4つのテーマだったんです。なにしろうまいもの、でかいもの、安いもの、当たりくじがついているもの。この4つを満たせるものを作ろう、と。問題はフレーバーでした。『赤城しぐれ』のイチゴ味をアイスキャンディーにしたところで、誰も価値は認めてくれません。カップをバーにしただけですから。こうして私が最初に思い浮かんだのが、主力商品の『赤城しぐれ』を全否定することでした。そこで使っているフレーバーをまったく使わない方向を打ち出したんです。
コンビニの誕生、という神風が吹いた『ガリガリ君』
まだ入社数年のガキでした。商品開発といっても、何をしていいかなんて、わかりません。思い浮かんだのは、歴史に学ぶことでした。アイスは1866年くらいにアメリカから入ってくるわけですが、私がヒントにしたのはアイスの歴史ではなく、飲料の歴史でした。日本で売られている印象で、最も歴史のある飲料は何か。年配の人なら、すぐに思い浮かべられると思いますが、ラムネなんですね。ペリーの黒船が来たときに、一緒に入ったとも言われている。当時もラムネ、もしくはサイダーとして子どもたちに人気でした。遊びに夢中の子どもが片手で食べられるアイスを開発しようとしているわけですから、これがいいんじゃないか、と。ただ、ラムネを凍らせても、炭酸が出てきてボロボロになるだけなんです。また、凍らせると色が真っ白になるんですね。そこで考えたのが、色をつけることでした。それまでラムネには、色のイメージがなかった。私は空のスカイブルー、海の碧さをイメージして、水色にしようと考えました。
ネーミングもそのときに考えるんですが、これはかなり適当でした(笑)。最初はかき氷から始まったのが、この商品開発です。カップをスプーンで削るとき、ガリガリ音がしたんですね。それで、『ガリガリ』でいいと思ったんです。ところが、発売直前になって心配になって、社長のところに相談に行ったら、「“君”をつければいいんじゃないか」と。なんとも簡単な話なんですが、こうして『ガリガリ君』になるんです。でも、おかげで単なる形容詞から固有名詞になって、覚えてもらえるようになった。ガリガリという擬音の形容詞のままでは、ここまでヒットしなかったと思います。そしてもうひとつ、『ガリガリ君』には神風が吹きました。ちょうど時代が変わり目に差し掛かっていたことです。1981年の発売当時は、アイスの売り上げの60%以上は一般小売店でした。全国70万の店があったんですが、そこに置かれているアイスストッカーの多くはメーカーが貸し付けているものだったんです。ストッカーは高価でしたから。そうなると、そのメーカーのアイスが優先的に置かれるわけです。
そこに赤城の商品を入れようとすると、『赤城しぐれ』のようなヒット商品を開発するしかなかった。だから赤城乳業は当時から、アイスの製造工場ではなく、商品開発業だったんですね。商品開発業が、赤城乳業の本来の姿だった。ところが、環境が変わるんです。コンビニエンスストアの登場です。何よりコンビニは、アイス販売のデータをPOSで取れる。最初は「そんなもの売れない」と言われていたのに、実際に入れてもらうと、POS値でナンバーワンが出たりするわけです。こうなると、データをもとに生産計画も作ることができる。在庫を残さずにやれるようにもなる。当時は問屋さんが強い力を持っていて、問屋さん次第で在庫が振り回されるようなこともありましたが、POSのおかげでそれもなくなりました。1985年から93年にかけて、コンビニチャネルが急拡大していきます。308万本だった『ガリガリ君』の売り上げ本数は、670万本、さらには1000万本。どんどん右肩上がりで伸びていきました。94年は、猛暑でしてね。しかもこの年、今のコンビニに置かれている目立つショーケースが登場するんです。アイスストッカーがコンビニの主力商品に躍り出たわけです。この年は、売れに売れました。POS値で一店舗あたり80個です。一万店で80万個。一日で、です。そんな記録も出した年でした。
大ばくちのテレビCMから、勝手プロモーションが拡大
93年が4100万本、94年が6600万本。161%の成長です。業界全体では115%の成長でしたから、これはとんでもない数字でした。しかし、ここで『ガリガリ君』も壁を迎えてしまうんです。要因は、コンビニのチャネル競争が起きたことでした。では、チャネルを広げようとスーパーで売ろうとすると、価格競争が厳しいですから、赤字になってしまう。7本入りのファミリーパックを開発しましたが、儲からない。生産効率を高める努力の一方で、取り組みを進めたのが、生活者視点を採り入れることでした。徹底調査です。全国3万人に、マジックミラーのグループインタビューをする。これが衝撃でした。男子には売れていたけれど、女子には売れない。その理由がわかったんです。お客さまの声を直接、聞いたのは初めてでした。しかし、これがもう辛辣で。イラストが泥臭い。田舎くさい。はぐきが汚い……。毎日、こんなコメントを聞く。ショックでした。恐ろしかった。そして、全面リニューアルを決断するんです。このとき、デザイナーでもない若者が、デザインをやらせてほしいと言うんですね。ガリガリ君が大好きだから、と。せっかくだから、とコンペをしたら、なんと彼のアイディアが通ってしまった。それが、今の3Dならぬ2D半のイラストでした。
そしてもうひとつの打開策として、大ばくちに出ます。テレビCMです。このとき、あの「♪ガリガリ君」の歌ができるんです。初めて聴いたときは、感動しました。リニューアルとCM効果で、2000年に1億本を達成しました。さらなる加速をどうするか。CMも始めましたが、今度は商品力だけの問題ではなく、プロモーションをやらないといけないことに気づくんです。ちょうどひとつわかったことがあって、芸能人の方々に、『ガリガリ君』の好きな人が多いこと。実際、ダウンタウンの番組『ガキの使いやあらへんで』で、オープンニングに浜ちゃんが画面の右から出てくるんですが、『♪ガリガリ君』を歌いながら出てくれたりした。また、あるとき地下鉄の駅で電車を待っていると、子どもたちが『♪ガリガリ君』の歌を歌っているのに遭遇したこともありました。これは感動でした。こんなありがたい勝手プロモーションも広がって、2003年には1億2000万本まで順調に伸ばすことができたんです。そして翌年の2004年は、記録的な猛暑になりました。出荷金額では、この年がアイス業界のピークになります。『ガリガリ君』も1億4800万本まで来ました。
しかし、会社というのは、みなさんもご存じのように翌年の計画を前年割れで出すわけにはいきません。何があろうと、前年比プラスの計画を出さないといけない。しかし、とんでもない猛暑で記録した数字。超えられるわけがないんです。猛暑の翌年は、だいたい天気が悪いものですし。これはなんとかしないといけないということで、新しいプロモーションを始めるんです。今までのマーケティングとは違う。もうこうなると未知の世界でした。しかも、お金をかけることもできない。田舎の会社ですからね。まずは、子どもたちに向けたプロモーション。「みんなの夏のすぐそばにはいつもガリガリ君がいるよ」。これをレインボー作戦と命名しました。スーパーのエンドにストッカーを1台用意して、『ガリガリ君』全種類を入れる。ガリガリ君×夏の思い出。子どもたちの夏の応援です。メッセージはIce Creamの文字をひねって、「Ice Dream」。このとき、『ガリガリ君』のぬいぐるみを作って、ストッカーの前に立たせました。今でいう、ゆるきゃらですよ。これがもう大人気になりまして。親御さんが子どもと一緒に写真をせがむ。びっくりしました。しかし、真夏の着ぐるみは暑くて大変です。中に入っていたのは、営業。「30分もやったら死にますよ」と泣きが入りましたが、3人交代でしのぎました。
とにかく一日中、『ガリガリ君』と接点を持ってもらう
他にもいろんな取り組みをしました。それまではひとつの包装紙に1種類のデザインしかやっていませんでしたが、1ケースに3種類入れるようにした。そうすることで、1品だけでなく、2品、3品と売れていくんです。また、ちょうど夕張メロンが大人気になって高値がついていた頃で、交渉して夕張メロン味にも挑みました。数量の報告から味のチェックから、すべて出さないといけなかった。2006年の春夏には、子どもにもっと浸透させようと、小学生の男の子が最初に読む漫画『コロコロコミック』に、『ガリガリ君』の4コマ漫画をコラボレーションしました。東京の山手線の1両をすべて『ガリガリ君』にして、ずっと走らせるアドトレインもやりました。私も見に行きましたが、ホームで男の子が興奮して写真を撮っているんですね。大きなインパクトがあったようです。他にも、文房具を作ったり、本当にいろんなことをやりました。そこから話題を作り、口コミを作ることで、想定外のターゲットにも響くようになるんです。この時期になって、ようやく女性から「ガリガリ君、いいね」という声が聞こえてくるようになりました。厳しい声を覚えていましたから、やっと認めてもらえたとうれしかったですね。
型破りなことも、いろいろやりました。アイスクリームは一番売れるのが7、8月ですが、実は同じくらい売れるのが、お正月なんです。ものすごく売れる。そこで、『ガリガリ君』の100円のリッチバージョンを作って仕掛けました。CMも打ちました。工場見学も歓迎しました。みなさんにも、ぜひ来ていただきたいんですが、『ガリガリ君』が好きなだけ食べられます。適当にしておかないと、お腹を壊しますから要注意ですが(笑)。グッズも買うことができます。また、『ガリガリ君』の神社もあって、おみくじも引けるんです。今は年間、1万人以上の方が見えています。アイスの神社を造るなんて、本当にアホな会社です(笑)。でも、人気になりました。サンプリングもやりました。雪の降っている札幌で、ものすごい人に来ていただきました。東京の新宿では、告知もしていないのに、ものすごい人だかりになって、始めたらパニックのようになってしまい、事故が起きてはいけないとすぐに中止しました。SNS時代の情報の弾け方を知りました。
要するに、あらゆる生活シーンで『ガリガリ君』を知ってもらおうと考えたんです。CM、アドトレイン、ホームページ、スペシャルサイト、スティックアイスにマルチアイス、消費者キャンペーン……。とにかく一日中、『ガリガリ君』と接点を持ってもらえるようにしよう、と。通学、出勤前にCM。通学、出勤途中では交通広告、看板、モバイル、コンビニ。昼間は口コミや雑誌、ウェブ。帰宅途中では交通広告、看板、モバイル。帰宅後は、雑誌とテレビとモバイル。一つひとつは小さくてもいいんです。コネタ、コネタです。これをどんどん重ねていく。重ねていくことで、分厚いプロモーションになっていくんです。新しい商品開発にも挑みました。2007年には、チョコレートと抹茶の『ガリガリ君』を登場させました。一方で、大きなプロモーションもやりました。FIFAワールドカップのブラジル大会では、FIFAと組むことができたんですね。シャツを作って。ガリガリ君ブルーと日本チームのサムライブルーをつなげました。このときは幸運にも、アディダスともコラボレーションができました。世界のビッグイベントですから、国内に大きなインパクトをもたらすことができたと思っています。
新工場をすべて公開。テレビが次々に取材にやってきた
こうした取り組みを進める中で、『ガリガリ君』の存在感はどんどん高まっていくようになりました。暑さもあって、サントリーのノンアルコールビールが大人気になり、それが品薄になっているというニュースに、なぜか一緒に「赤城乳業の看板商品のガリガリ君も品薄になっている」と勝手に書かれたりしました。 本当は品薄ではなかったんですが、こういう報道がされると、人間の心理でみんな買いに行く。実際に、パーンと売り上げが跳ねてしまい、本当に品薄になりました。情報というのは、すごいと思いました。独り歩きしていくようになるんです。コネタを続けているうちに、限界地点に達する。それを過ぎた瞬間に跳ねるんです。だから、みなさんも、いろんなコネタ取り組みをされていると思いますが、我慢することです。そうすると、どこかでドーンとはねるんです。そのときが、ブレイクポイントです。2004年、猛暑で1億4800万本という記録を出し、これを抜くのは無理かと思いきや、コネタコネタで朝から夜までプロモーションを続けて2008年には2億5500万本まで来ました。FIFAの大ネタではいきなり3億本を超えました。
2010年、大きなトピックスがありました。新工場を造ったんです。これは、会社としては背水の覚悟の大投資でした。全部で120億円くらいかかった。しかし、この新工場はプロモーションとしても大きな意味を持ちました。その政策が「見せる。観せる。魅せる」だったんです。お客さまはもちろん、メーカーさんでも競合の会社でも問屋さんでもスーパーバイザーでもマーチャンダイザーでも、どなたが来ても全部見せちゃう。すると何が起きたかというと、初年度にNHKを除くすべてのテレビ局が工場の中に入りました。1日4万本作れる機械は圧巻です。これを映像に取って、全国に流してもらえた。このインパクトは絶大でした。私も友達やら親戚やら、あちこちから「見たよ、見たよ、ガリガリ君、すごいね」と言われました。これをCM効果にしたら、とんでもない金額だったんじゃないかと思います。初年度に来なかったNHKも、翌年にはお見えになりました。そしてNHKニュースで、『ガリガリ君』が品薄になっている、というニュースまで流れたと聞きました。そんな会社ではないんですが、まだ実力はないですから。でも、うれしいですね。地道な会社全体の努力が、実を結んだのではないかと思うんです。
新たな商品開発も進みました。グレープフルーツ、コーラ。グレープフルーツは大ヒットしました。しかし、ガリガリ史上最大のニュースになったのは、2012年のコーンポタージュでした。これを作ったのは、入社2年目の社員でした。生意気な社員でした。どんどん意見を言う。しかし、私たちも年齢が来ていますから、発想や感覚が違う。だから、若い人の感覚をなるべく受け入れるようにしました。それにしても、コーンポタージュは驚きでした。でも、彼はこう言うわけです。「いや、今にコーンポタージュがブームになりますよ。だって、うまいんですから」本当に大丈夫なのか、と何度も確認しましたが、「大丈夫です、絶対に売れると思います」と大胆なことを言う。でも、大切なんですね。夢があるんですよ。自信を持って提案して、覚悟を決めていた。そしてこれが、本当に売れちゃうから困ったものです(笑)。Yahoo!ニュースのトップを7回も獲得したり、ツイッターでも最も話題になったり、テレビのニュースで年中取り上げられて。実際、とんでもない売れ行きでした。『ガリガリ君』は、5000万本を超えて19年かかって1億本を超えました。2億本まで7年。3億本まで3年。そして今はもう4億本を超えています。工場ができた年でした。
まずは、自分の自己実現のため、から始めたらいい
どうして『ガリガリ君』を開発することができたのか。キーワードは3つあると思っています。「普段の生活動線で考える」「まずは0円企画から」そして「共創」です。経営者の仕事は会社の方向、方針、長期の方向を示すこと、決裁することです。一方、上司が部下に求めるのは、問題発見能力、問題解決能力です。失敗したっていいんです。先のことなんかわからない。こうしましょう、と提案することが大切。その中にいいものがある。商品開発には二通りあると思っています。一つ目は今までにない商品を開発すること。でも、意外に大切なのは二つ目、今ある商品をリニューアルすることです。なぜか。時代の変化が激しいからです。今は時代にマッチしていても、ちょっとすると時代は先に行ってしまう。すると、商品は置いてけぼりになってしまう。気が付いたときは、過去の商品になってしまう。どんな仕事でも商品でも、どんづまりになるんです。同じ商品でいつまでも行く、なんてことはない。100%ない。だから、作り直さないといけない。商品にはライフサイクルがある。リニューアルがそれを変えられるんです。改良し、プラトー現象を起こし、時代に適合するものにしていくことが重要になるんです。
そもそも商品開発は何のためにやるのか。お客さまのためか。会社の利益のためか。社会貢献のためか。それとも自己実現の欲求を満たすためか。 私は、最初は自分のためにやったらいいと思っています。人のためとか課長のためとか上司のために仕事やるなんて、疲れてしまう。そんなにやってられないですもん。だって人生は一回しかないし、今いるステージは自分のステージです。だから、自分のためにやるのがいいんです。でも、それだけだと人間は狭くなる。だから年齢が行けば、その次に例えば社会貢献を考えればいい。人間は成長していきますからね。そして当然、利益のため、ということになる。会社は利益を出すためにやらないといけないわけですから。赤字ではつぶれてしまう。では、利益とは何かというと、言葉を変えれば付加価値です。付加価値が付けられない商品は、原料素材を売っているだけ。それでは売れない。お客さまが受け入れないといけない。そこに対して、問題発見ができるか、ということです。
いい商品開発をするために大切なことは、人数をかけないことです。最近のヒット商品に、富士重工のEyaSightがあります。センサーでブレーキがかかって止まる。画期的なシステムです。これを作った人は、一人で開発に20年かけたそうです。会社からは、やらなくていいと言われて「なんだ、まだやっていたのか」と言われていたとか。でも、それを20年やって株価が10倍以上になった。みんな右へならえの中で、一人で商品開発したわけです。凄いです。だから、商品開発は、大勢でやらないほうがいい。7人以上いたら商品開発できません。3人もダメ。2対1になっちゃうから。2人はいいと思います。自分だけでできる人もいますが、普通は人間はコミュニケーション型だから。誰かに話して確認できる。そして、情報はどこにでもあると認識すること。今風にいえば、ビックデータでしょうか。でも、どんな情報が役に立つかわからない。そして、ネット情報も大事ですが、歩いて得たほうが生きた情報になると思っています。もうひとつ加えるなら、PDCAを回すこと。なぜなぜを追求すること。何でも人に尋ねることです。
夢を持つ。自分自身を信じて、覚悟を決める
ヒット商品を作るポイントもよく聞かれます。私の経験でいえば、一番目は過去を否定すること。私もそうでした。『赤城しぐれ』の全否定でした。二番目は、お客さまの声を聞くこと。三番目は、お客さまを驚かせること。つまりは、お客さまのメリットをはっきりする。これを買ったらあなたは絶対得ですよ、とわかるようにする。「でかい、うまい、安い、当たり付き」。隣のよりこっちのほうがいい、とはっきりさせること。四番目は口コミしやすいネーミング。最近は、長いネーミングのものもありますが、基本は7文字ネーミングでしょう。7文字以下でつけるといい。『ガリガリ君』で5文字。『ガツン、とみかん』で7文字。みんなこのくらいに抑えている。長いと口コミに乗らない。そして五番目が、夢を持つことです。If you can dream it , you can do it.。私はこれが絶対に必要だと思います。まずは夢を持ちさえすれば、叶えられる。自分自身を信じる。覚悟を決める。いつも日が当たるばかりではありません。でも、いつか必ず自分も光が当たる日が来ると信じてめげないことです。夢が、力を与えてくれるんです。
(文:上阪徹)
鈴木政次すずきまさつぐ
“ガリガリ君”の開発者そして育ての親
1946年 茨城県出身。1970年 東京農業大学農学部農芸化学科 卒業後、赤城乳業株式会社に入社。1年目から商品開発部に配属される。愛すべき失敗作を生み出しながらも、「ガリガリ君」、「ガツンとみかん」…
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