早稲田大学2年で東京オリンピックに出場、卒業後、ヤンマーディーゼルに入社。日本リーグ及び日本代表チームで数々の大記録を残した。中でも日本リーグ、通算202得点。そして1968年メキシコオリンピックでは、7得点をマークし同大会の得点王に輝き日本チームの銅メダル獲得に大きく貢献した。代表チームでの国際Aマッチ75得点は歴代一位である。また、国際Aマッチ得点率、0.98は王様、ペレをもしのぐ世界歴代一位である。現役引退後、ヤンマーディーゼル、ガンバ大阪で監督を歴任した。1995年、参議院議員に当選。1998年から2008 年7月まで(財)日本サッカー協会の副会長を務めた。その間、2005年には第1回サッカー殿堂に最年少で選出された。2006年には、京都文教大学の客員教授に就任。2014年5月には旭日中綬章受章。現役引退後から今日まで全国各地ですでに1200回を超えるサッカー教室を開催しのべ、500,000人を超える子供達を指導している。その中には、中田英寿、中村俊輔、川口、宮本、稲本、大黒など、数多くの子供たちが後に日本代表選手へと成長している。
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経歴
- 1944年
- 4月15日京都市に生れる
- 1964年
- 東京オリンピック出場 日本代表
- 1966年
- 関東大学リーグで史上初の4年連続得点王
- 1967年
- 早稲田大学卒業
- 1967年
- ヤンマーディーゼル株式会社入社
- 1968年
- 西ドイツ、ザールブリュッケンにサッカー留学
- 1968年
- メキシコオリンピック出場し、銅メダル獲得・同大会の得点王 日本サッカーリーグで初めての得点王(14得点)
- 1973年
- ミュンヘン・ワールドカップ予選出場
- 1977年
- 日本代表チームを引退
- 1978年
- ヤンマーの監督に就任(プレーイングマネージャー)日本サッカーリーグ・得点王
- 1981年
- 前人未到、不滅の200ゴール達成
- 1984年
- 国立競技場において、選手引退記念試合
- 1991年
- Jリーグ入りが決まった、松下電器の監督就任
- 1995年
- パナソニックガンバ大阪監督辞任
参議院議員当選(2000年6月30日退任) - 1998年
- (財)日本サッカー協会副会長就任
- 1999年
- 2002年強化推進本部本部長就任
- 2002年
- (財)日本サッカー協会常務理事就任
- 2004年
- (財)日本サッカー協会名誉副会長就任
- 2005年
- 第1回日本サッカー殿堂入り
主な講演テーマ
熱いハートを燃やせ
熱いハートを燃やせ
※主催者様のご要望によって、以下の内容をお話します。
【人生・夢・情熱】
世界トップレベルのアスリートの思考法、行動力とは?一流だからこそ味わう知られざる努力と苦悩、そしていかにしてモチベーションを保ち、夢に向かって突き進んできたかを熱く語ります。
【リーダーシップ・組織論】
プレーイングマネージャーを務めた現役時代を含め、監督として組織を率いた経験をもとに個人の特性を見極め、集団を成長させるために必要な資質や条件を語ります。
【青少年教育】
参議員時代より尽力してきた、スポーツを通じての青少年育成について、具体的な方策と共に展望を語ります。学校・教育関係の講演に最適です。
サッカーに燃えた日々
チームにおけるチームワークとリーダーシップ
サッカーに燃えた日々
チームにおけるチームワークとリーダーシップ
主な実績
テレビ
TBS | スポーツ王国/ ジョン万次郎/ TBS感謝祭/ 関口宏の御意見番SP/ |
---|---|
ANB | 朝までサッカーを考える/ とんねるずスポーツ王/ 朝までサッカー/ Get Sports/ ビートたけしここがへんだよ/ 朝までサッカー/ ビートたけしTVタックル/ スマステーション/ |
CX | クイズミリオネア/ メントレ/ サッカー星人/ 目覚ましテレビ/ |
TX | なんでも鑑定団/ 芸人輸送車ガルウィング/ いい旅夢気分SP/ |
CS | NAKATA NET/ |
その他
<サッカー歴>
天皇杯全日本選手権(早稲田大学) 優勝2回(1963年・1966年)
大学選手権(早稲田大学) 優勝1回(1966年)
大学王座(早稲田大学) 優勝2回(1963年・1965年)
関東大学リーグ(早稲田大学) 優勝3回(1963年・1965年・1966年)
オリンピック(日本代表) 1964年東京大会ベスト8/1968年メキシコ大会3位
アジア大会(日本代表) 1966年バンコク大会3位/1970年バンコク大会4位/1974年テヘラン大会1次リーグ
ムルデカ大会(日本代表) 1972年 3位/1975年 4位/1976年 2位
タイ・クイーンズ・カップ(ヤンマー) 1970年(14試合16得点)/1971年(14試合11得点)/1974年(18試合21得点)/1975年(17試合17得点)/1976年(18試合15得点)/1978年(18試合15得点)
関東リーグ(4年連続) 1973年(7試合11得点)/1964年(7試合7得点)/1965年(7試合14得点)/1966年(7試合13得点)
アシスト王(日本リーグ3回) 1973年(16試合9アシスト)/1975年(17試合6アシスト)/1979年(18試合7アシスト)
日本リーグでのその他の最多・最高記録 通算得点 202得点
通算得点試合 132試合
連続得点試合 8試合(2回)
ハットトリック 13回
通算アシスト 79アシスト
アシスト試合 68試合
連続アシスト試合5試合
年間最優秀選手(全国サッカー記者選定) 7回(最多記録)
1966年、68年、71年、74年、75年、80年、81年
本
- 『最前線は蛮族たれ (集英社新書)』(集英社)
- 『釜本邦茂の「とってナンボ」のFW論』(宝島社)
- 『戦うサッカー 釜本流ストライカーの作り方』(実業之日本社)
- 『ゴールの軌跡―釜本邦茂自伝』(ベースボールマガジン社)
- 『攻撃サッカー―技術と練習法 (Sports lesson s...』(成美堂出版)
- 『サッカーに燃えた日々』(実業之日本社)
- 『釜本邦茂のサッカーの達人 (悩んだらヒーロー...』(ポプラ社)
- 『熱いハートを燃やせ―ゴールゲッターの「勝負...』(知識社)
- 『ゴールの軌跡・釜本邦茂自伝』(趣味と生活)
- 『サッカー・ストライカーの技術と戦術』(講談社)
講演料金目安
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