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柳沢雅彦

柳沢雅彦柳沢雅彦やなぎさわまさひこ

写真家/ 社団法人日本写真家協会(JPS)会員/ 国際スポーツプレス協会(AIPS)会員/ 月刊ダンスビュウ招待写真作家

柳沢雅彦

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新聞記者、スポーツ写真家、雑誌の表紙連載、カメラ雑誌の講師…。今まで自分の夢を叶えるために走り続けてきましたが、すべての夢は叶い、いつのまにか後進の夢を叶えるために応援する立場になっていました。どうしたら夢が叶うのか、私の人生で得た貴重な体験の数々を披露させていただきます。どんな世界でも一芸に秀でるためには、もちろんテクニックは大切ですが、それだけでは十分ではありません。では何が求められるのか…。

出身・ゆかり

専門分野

写真家(スポーツ/ダンス/ポートレート)

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業界21年、実績3万件の中で蓄積してきた講演会のノウハウを丁寧にご案内いたします。趣旨・目的、聴講対象者、希望講師や講師のイメージなど、お決まりの範囲で構いませんので、お気軽にご連絡ください。

経歴

1957年
5月25日、岐阜県高山市生まれ 
1981年
下関市立大学経済学部を首席で卒業中日新聞社に記者として入社 
1988年
7年半の記者生活にピリオドを打ち、フリーランスの写真家宣言 
1989年
単独取材のソウル五輪で写真集「美しき強者たち」(光村印刷)を発表 
1998年
「月刊ダンスビュウ」の招待写真作家になる。(~現在)同時に表紙の担当に抜擢される。 
 
現在は「月刊ダンスビュウ」の表紙撮影を担当しながら、日本カメラのMOOKなどで後進の指導にあたっている。 

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主な講演テーマ

「私は見た!『夢が叶う人、叶わない人…』」

「私は見た!『夢が叶う人、叶わない人…』」

私は新聞記者として社会人の第一歩を踏み出しました。そこで見たものは、さまざまなジャンルで成功を収め、満面の笑みをたたえる人たちと志半ばにして消えていく人たちの群像でした。そのあと自由な取材活動に憧れ、お世話になった新聞社を辞め、フリーランスの写真家になりました。最初に飛び込んだスポーツの世界で目撃したのは五輪の金メダリストになって最高の喜びに歓喜の涙を流すトップアスリートと、日ごろの練習の成果を出しきれずに悔し涙を流す選手たちでした。勝者と敗者…あまりにも大きなコントラストに、私はブルブルっと震えあがりました。どんな世界でもトップになれるかどうかによって運命は変わってきますが、スポーツの世界ほど、それ以降の人生を大きく左右する世界はないかもしれません。しかし身近で、よくよく観察していると、金メダルを獲得する選手たちには、ある共通点があるのです。夢が叶う人、夢が叶わない人…もちろん運、不運もあるでしょう。でも運を呼び込むための何かがあるような気がしてなりません。私が取材現場で目撃した出来事の数々をお話しさせていただきたいと思います。

「ミューズ(美の女神)の誘惑」

「ミューズ(美の女神)の誘惑」

新聞記者として初めて一眼レフカメラに接した私は、フリーランス宣言とともにスポーツ写真家になりました。現在はカメラ雑誌でポートレートの講師をしたり、ダンス写真家としてダンス雑誌の表紙写真を担当しております。激しい動きのスポーツ写真、ほとんど動きのないポートレート、まるでファッションショーさながらのダンス…。この3つのテーマは一見して何の関係もないように見えますが、私にとっては密接に結びついているわけです。さまざまな写真家が、さまざまな被写体と向かい合いますが、美しいものの奴隷になりたいと密かに憧れる耽美主義の私にとって、被写体は、いわばミューズ(美の女神)なのです。いつも私には聞こえてくるのです。「あなた写真家でしょ。さあ、私を撮って! あなたの眼で、私の美しさを切りとって…」そんな甘い囁きに心をまかせ、シャッターを切っていくのです。雑誌などのメディアで仕事する写真家ですから、もちろん読者の眼を最優先して撮影しなければなりませんが、撮られる被写体の側にも立って撮影するというスタンスは今も昔も変わっていません。ミューズとの堅い契りこそが、私の美的瞬間の原動力なのです。

「デジタル時代の新・写真術」

「デジタル時代の新・写真術」

私が新聞記者を辞め、フリーランスの写真家になったのは1988年、ソウル五輪の年でした。この時は銀塩、すなわちフィルムの全盛期でした。当然ながら、誰ひとりフィルムが近い将来、スポーツ取材の現場から姿を消すことを予知した者はいませんでした。しかしミレニアムの2000年に開催されたシドニー五輪を境目として大きく状況は変わります。じわりじわりデジタルが浸透して、ついに2004年のアテネ五輪ではデジタルが主役の座を獲得してしまったのです。もちろんデジタルが、すべての領域において銀塩を超えたわけではありませんが、総合的に見てデジタルの優位性が鮮明になったことは間違いありません。私たち写真家も時流に乗り遅れまいと、デジタルの新しい写真術を研究しはじめました。銀塩とデジタルとでは、かなりの共通点もありますが、まったく異なる部分も多くあります。すでに円熟期を通り過ぎ、衰退期にあった銀塩については、世紀末のカメラ誌などで、ほとんど撮影テクニックは公開され尽くされましたが、ことデジタルに関しては、トッププロたちはマル秘の試行錯誤を続けています。いまデジタル写真は、どんな状況にあるのか、そして今後どこへ向かおうとしているのか、お話しさせていただきます。

「君ならできる! 絶対できる!」(教育関係向け)

「君ならできる! 絶対できる!」(教育関係向け)

たまたま私は大学で教員の免許(高校・社会科)を取得しましたが、すぐ新聞記者になったので、結局は教育実習のとき以外は教壇に立ったことはありません。それでも大勢のカメラマン志望の若者たちと出会い、彼らに写真のテクニックを伝授するばかりか、心構えや生き方についてまで幅広く指導してきました。ところが写真がフィルムからデジタルに切り替わった時期と重なるように、若者たちの思考形態や精神構造が大きく変わってきているのです。人間が進化したのかというと、決してそうではありません。ちょっと大げさな言い方をすれば、骨太から軟弱へ…というくらいに脆くなってしまっているのです。少子化が社会問題として取り上げられることはあっても、また学力の低下が指摘されることはあっても、まだまだ子どもの心の変化についてまではメスが入れられていません。実は少子化や学力の低下よりも深刻な事態が水面下で進行しているのです。世の中がアナログからデジタルへと移行する過程で、日本人が失ってしまったものは何なのか。いま子どもたちに、どんな教育が求められているのか。写真家の立場から、異色の緊急提言をさせていただきます。

「たった一度きりの人生だから…」(教育関係向け)

「たった一度きりの人生だから…」(教育関係向け)

私の少年時代、よく両親から言われました。「たった一度きりの人生だから、お前の好きなように生きなさい」と。さらに「ただし、よそ様に迷惑をかけてはいけない」とか「天に向かって唾を吐けば、それは自分の顔にかかる」とかです。「因果応報」とか「自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない」とかいう言葉は、自己責任の大切さを示したものだったのでしょう。当たり前といえば当たり前のことなのですが、それらの言葉が私の半生を決定づけました。いつも夢を追いかけ、かなり自由奔放に生きてきた私ですら特に警察のお世話になることなく、ここまで無事にやって来られたのは、自分の力ではなく周囲の支えによるものだと深く感謝しています。近年は子どもたちの犯罪が低年齢化、凶悪化してきていますが、これは日本の教育が激変する世界の動きについていけず、方向感を失ってしまっているからなのかもしれません。私の半生を振り返りながら、どうしたら親は子どもに夢と希望を与えられるのか、そして転落しないように優しく厳しく導いてあげられるのかについてお話しいたします。ささやかながらも子育てのヒントにしていただければ幸いです。※講演はたくさんの写真を実際に会場でお見せしながら、お話しさせていただきます。パソコン(※持参)と会場に設置されているプロジェクターを接続し、スクリーンに次から次へと大きく映し出しながら迫力と臨場感たっぷりに講演いたします。

主な実績

講演実績

【講演実績】
2006~2007年 全東京写真連盟の都内撮影会
2007年 岐阜県高校フォトコンテストの記念講演(岐阜県美術館)

【執筆】
1993年 「ジャンル別フォト講座」(モーターマガジン社40周年記念ムック)のスポーツ担当
1994年 毎日新聞の日曜版に「Jリーグ・ゴール裏」を連載
1994年 「月刊カメラマン」のジャンル別フォト講座の連載(4年間)
1997年 「月刊ダンスビュウ」にフォトエッセイ「美の狩人への誘い」を連載
1997年 キヤノンの会員向け機関誌「CANON CIRCLE」の表紙と巻頭グラビア(1997年5月号、No.441)
1999年 「月刊カメラマン」にフォトエッセイ「プロカメラマンへの道」を連載
2000年 「日本カメラ」に「柳沢雅彦のプロの裏ワザ、隠し技教えます」を連載
2001年 日本カメラMOOK「楽しくおぼえる写真の教室」に「プロのオススメ写真用品」連載
2002年 日本カメラMOOK「絞りとシャッター速度」執筆講師
2002年 日本カメラMOOK「写真のレシピ」執筆講師
2003年 日本カメラMOOK「逆光で写そう」執筆講師
2003年 日本カメラMOOK「カラーリバーサル撮影術」執筆講師
2003年 玄光社MOOK「フォトレシピ」執筆講師
2004年 日本カメラMOOK「楽しくおぼえる写真の教室」に「柳沢雅彦のフォト・ビューティ・サロン」の連載スタート(6年間)
2005年 日本カメラMOOK「キヤノンEOS5Dマニュアル」執筆講師
2006年 日本カメラMOOK「キヤノンEOS30Dマニュアル」執筆講師
2006年 日本カメラMOOK「キヤノンEOS KissデジタルX」執筆講師
2007年 日本カメラMOOK「SONY アルファ700マニュアル」執筆講師
2008年 日本カメラMOOK「キヤノンEOS50Dマニュアル」執筆講師
2009年 日本カメラMOOK「こんな写真が撮りたい! 定番撮影テクニック」執筆講師
2009年 日本カメラMOOK「決め手は光だ! 逆光で撮る写真術」執筆講師
2010年 日本カメラMOOK「写真用語の基礎知識」執筆講師
2010年 日本カメラMOOK「被写体条件別・適正露出の決定」執筆講師
2010年 日本カメラMOOK「くらべてわかる写し方 ○と×」執筆講師
2011年 日本カメラMOOK「画面構成を究める」執筆講師
2011年 日本カメラMOOK「撮影テクニック百科」執筆講師
2012年 日本カメラMOOK「光を究める」執筆講師

【審査員実績】
1997年 「月刊カメラマン」の月例フォトコンテスト審査員
1999-2002年 「月刊カメラマン」ジャンル別フォトコンテスト(スポーツ写真)審査員

【メディア出演】
2001年 日本BS放送で「柳沢雅彦のブラックプール」放映

【その他実績】
1997年 写真展「夢の時間(とき)…柳沢雅彦のShall we ダンス?」が全国のキヤノンサロン(東京銀座、大阪梅田、福岡、仙台)にて
      開催され、観客総動員数が一万人を突破
1998年 世界ダンススポーツ選手権の公式ポスターに作品が採用される
1998年 秋山庄太郎、白籏史朗、緑川洋一、山本健三の各氏とともに日本を代表する写真家CD-ROM(グリオ)に選ばれる。
      タイトルは「ブラックプール」

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