自ら操縦する熱気球から世界各国の人物や珍しい眺めを撮り続ける航空写真家。熱気球のパイロット歴は32年。世界各国の大会に参戦するほか、日本アルプスを高度を6000mで飛び越えながら撮影するなど、冒険的な要素のあるフライト実績を持つ。特別なポジションからの眺めを、多くの人達に紹介したいとの思いから熱気球を始め、あらゆる航空機からの撮影を行なっている。
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経歴
- 1960年
- 千葉県に生まれる
- 1977年
- 日本最年少熱気球パイロットとなる
- 1980年
- 日本甜菜精糖株式会社 総合研究所入社
- 1983年
- 熱気球による156km長距離飛行
- 2000年
- 写真家を目指して、撮影に専念する
- 2005年
- 熱気球によるアルプス越え(以降、年1回実施)
- 2007年
- 熱気球よりアメリカ ポートランド市を空撮
- 2008年
- 熱気球よりブラジル、モンゴル、アラスカ(セスナ)、タイを空撮
- 2009年
- 熱気球よりスイス、フィリピン、タイ(パタヤ)、マレーシア、アラスカ(ブッシュプレーン)、タイ(カンジャナブリ)を空撮
- キリマンジャロをレモショールートで登頂
- 2010年
- 熱気球よりマレーシア、インドネシアを空撮
- イギリス ゴードンベネットガス気球長距離レース参戦
主な講演テーマ
「まるい翼で空を飛びたい -高校生が熱気球を作り上げ、最年少パイロットになるまで」
「まるい翼で空を飛びたい -高校生が熱気球を作り上げ、最年少パイロットになるまで」
2人乗りの熱気球を自らミシンで縫って作り上げた、中学3年生から高校3年生までの4年間に渡る奮闘記。学校や両親からの猛反対で何度も心が折れそうになる中、徐々に集まってくる友人や大人の協力者に、飛んだ姿を見てもらいたい一心で作り続けた。16歳でニトリ家具の新店舗開店のイベントを一人で受注したり、数多くのアルバイトや商売を考え出して、百数十万円の資金を稼いで資材を購入。ゴンドラやバーナー、球皮(風船部分)を少しずつ作り上げていった。高校卒業と共に熱気球は完成し、いよいよ友人と共に北海道の大空へ舞い上がるのだが、上手く操縦出来ない。高度を下げたいのに、どんどん上がっていってしまうのだ・・・・・。なんとか着陸するものの、「こんな事をしていたら死んでしまう」と思い、自らのトレーニングカリキュラムを作って訓練を行っていった。日本気球連盟のライセンス制度が始まる、2年前のことである。その後、日本初のオンターゲットで優勝し、日本初の100km越えの長距離飛行など、熱気球を使った冒険フライトに没頭して行く。そして現在、特別なポジションからの眺めを、多くの人達に紹介したいとの思いから熱気球を始め、あらゆる航空機から世界各国の撮影を行なっている。
「熱気球から世界の笑顔を撮影する -熱気球を自ら操縦して撮影する、八戸耀生の写真の世界」
「熱気球から世界の笑顔を撮影する -熱気球を自ら操縦して撮影する、八戸耀生の写真の世界」
カメラ機材の進歩によって、誰でもそれなりに美しい写真を撮る事ができるようになってきた。では、「写真家の存在意義とは何か?」。その問に答える為に、ある写真家は水中へ潜り、山を登り、極地を目指す。そして、私はカメラを片手に世界の空を飛び始めた。自らの操縦する熱気球を超低空で飛ばし、地上の人々と会話しながら撮影する。熱気球を見上げる人々は、みんな笑顔で私を迎えてくれる。笑顔は最高の被写体だ。人物以外にも、アルプス山脈を酸素吸入しながら高度6000mで飛び越える冒険飛行や数百キロに渡る長距離飛行なども行う。過酷な環境に身体をさらしながら撮影した作品をご覧頂きながら、世界各国の人々との交流や様々なエピソードを紹介。
「熱気球の写真を撮りに行こう」
「熱気球の写真を撮りに行こう」
熱気球に乗って、世界各国を回っている八戸耀生が、熱気球の写真の撮り方をレクチャー。良い写真を撮る為には、被写体に詳しくなるのが、一番手っ取り早いのです。熱気球の歴史から・構造・飛行方法・競技内用を知ることによって、ワンランク上の写真を撮るテクニックを披露します。これまで撮ってきた熱気球の写真や世界各国の熱気球から撮った地上の人々や、珍しい眺めをプロジェクターで数多くご紹介します。また、熱気球に乗って撮影する楽しさや、現地スタッフとの触れ合い等のエピソードも豊富で楽しく聞いていただいた後は、誰もが熱気球が大好きになり、最後には乗って見たいと思うこと間違いなしの講演です。
「キリマンジャロの氷河を溶かすのは誰だ!-環境問題を科学的に論理的に考える」
「キリマンジャロの氷河を溶かすのは誰だ!-環境問題を科学的に論理的に考える」
日々、TVや新聞で報道される、地球温暖化とCO2排出問題。地球温暖化のシンボル的バロメーターとして頻繁に取り上げられる、キリマンジャロの消えゆく氷河だが、実際には直接的な関係を裏付ける科学的な数値データは存在しない。私はアラスカ大学の学術調査隊の記録カメラマンとして同行した。標高5895mの山頂直下を含めた10箇所で10mの縦穴を掘り、温度センサーを埋めていく作業は酸素不足と肉体疲労で困難を極める作業の連続となった。アラスカ大学の教授を勤める、日本人科学者「吉川謙二」の冒険心と探究心から、環境問題を科学的な根拠に基づいて考察する。キリマンジャロの氷河以外に、アラスカの永久凍土と永久凍土の上に暮らす人々の生活を、多くの写真を元に紹介する。
「ちょっと過激な我が家の教育方針 -独立心を育てるには、一人で家から放り出せ」
「ちょっと過激な我が家の教育方針 -独立心を育てるには、一人で家から放り出せ」
息子には小学5年生の夏休みを期に数年間、自転車旅行をさせている。子供用の自転車に寝袋とテントを縛り付け、札幌の自宅を明け方前に出発する。目的地は300km離れた熱気球大会のある十勝平野の上士幌町。途中の狩勝峠は長く急な上り坂で、子供用の自転車では登ることが出来ず、延々と押して行く。携帯電話は持たせず、所持金8000円の中でトラブルが起きても一人で対処する。小学校から抗議が入るが、「教育方針」と一蹴りにして送り出した。辛くてギブアップするかと思ったが、その道中は多くの人と関わりながら、様々な思い出を作ったようだ。声を掛けられた地元のオジサンに食事をご馳走になり、山の中は危ないと熊鈴をもらい、不慣れなテントの設営も周りのお兄さん達が手伝ってくれたうえ、またご馳走になる。バイカーの中でも「赤い自転車の少年」と評判になり、すれ違うバイクからエールを送られるようになる。帰って来た息子の顔は、僅か数日にもかかわらず不思議なくらいに凛々しくなる。娘は熱気球ライドツアーのスタッフとして、18歳でモンゴルへ送り出した。「牛は無理だが、羊なら一人で捌ける」と豪語する娘には、教育方針を過ったかという気もするが、親元を離れて子供は成長するものだ。
「サバイ サバーィ タイランドを熱気球で飛ぶ」
「サバイ サバーィ タイランドを熱気球で飛ぶ」
航空写真家として世界各国を自ら操縦する熱気球で飛びながら、その国の人々や珍しい眺めを撮影している。そんな私が一番好きな国はタイ。みんな陽気で明るく、くよくよ悩んでいるタイ人には会ったことがない。日本では考えられない、大らかさが魅力のタイ人はとってもミステリアスだ。熱気球で飛びに行くたびに、毎回新鮮な驚きが得られる不思議の国、タイの人達の暮らしを面白おかしく紹介します。・タイ人は母親をとても大事にする。でも、父親は全く大事にされない。・熱気球で着陸して畑を踏み荒らしたお詫びに払った謝礼を、奥さんに内緒で仲間と飲み歩き、奥さんに散々叱られた後、外に出て畑の隅に座り「昨日は楽しかったなぁ。また気球飛んでこないかなぁ」と空を見上げなら呟くオヤジさん。・浮気がばれて、奥さんに至近距離からピストルを乱射された、町長選に破れたことのある、ちょっとヤクザなオヤジさん。・ケチと呼ばれることが何より嫌いなタイ人は気前がいい。たとえば仕事を始めるのに車が必要になると、みんなからお金を貸して欲しいと頼んで歩いて、集めたお金で車を購入。でも、お金は返さない。貸した方も請求したりしない。
主な実績
講演実績
【講演実績】
西帯広工業組合
【メディア出演】
NHK(若い広場)、HBC(カーナビラジオ午後一番)
【執筆】
日本カメラ(巻頭グラビア9p)、CAPA(巻頭グラビア2p)、北海道新聞(連載7回 空からの不思議な風景)、日刊スポーツ(NorthStyle)、日経バイト(視点)、Step by Step(連載6回 ライブエッセイ)、朝日パソコン(連載8回)
講演料金目安
- 料金非公開講師になりますので、
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