私は近畿大学で哲学の専任教員を努め、同大の日本文化研究所が市民を対象に「寺子屋塾」を開設して以来、その中心的担い手でもあった。哲学を聞き手の人生経験と直に絡み合わせながら分かりやすく語る修練は人並み以上に積んできたという自信はある。また、私は哲学の教鞭をとると同時に独自に奄美大島への民俗学的考察を開始するに至り、三冊の著書をものした。そもそも私が専門とするのはサルトルとニーチェならびにフロム、またユダヤ=キリスト教文化についての研究であるが、これらに関わる私の専門著作は十冊に上る。と同時に、私は哲学を読み手の人生経験に直接関わらせて説く六冊の著作を出版した。
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経歴
- 1972年
- 早稲田大学政経学部卒業
- 1973年
- 早稲田大学文学研究科哲学専攻修士課程入学
- 1982年
- 早稲田大学文学研究科哲学専攻博士課程満期退学
- 1987年
- 近畿大学青踏女子短期大学専任講師
- 1993年
- 近畿大学生物理工学部助教授
- 1998年
- 近畿大学教養部助教授
- 2004年
- 近畿大学文芸学部教授
- 2015年
- 近畿大学文芸学部定年退職
近畿大学文芸学部・経営学部非常勤講師
立命館大学産業社会学部非常勤講師
主な講演テーマ
イジメ経験のもたらすトラウマをサルトルとニーチェから照射する
イジメ経験のもたらすトラウマをサルトルとニーチェから照射する
児童期と思春期のイジメ経験は如何なるトラウマを学生の心に残すか?何よりも、以来他人が怖く引き籠るしかなくなったという打撃である。そして特徴的なのは、イジメ空間は必ず「一対全体」の極端な異者排除の攻撃構造をとり、そこでは被害者は「全体」から自分たちとは根本的な異質な「キショイ」劣悪な存在と断罪されることである。そして多くの者は、「傍観者」となることでこの空間形成の共犯者となる。
ところで、この二点に孕まれる問題をクリアに取りだすうえで、サルトルとニーチェがおこなった議論はとても役に立つ。サルトルによれば、他者との共感に満ちた応答の絆を失った人間は自分の想像力が生む仮想空間のなかに引き籠り、そうすることでますます前者を回復する機会を失うという病理に取り憑かれる。ニーチェによれば、「ルサンチマン(怨恨心)」に取り憑かれた人間は、自分をいわば癒すために道徳的に徹底的に見下せる相手、「劣等の塊」存在を欲しがり、そのために誰かをかかる存在に仕立て上げ、それを攻撃することで憂さを晴らそうとする。
さて、この二つの問題は実は21世紀の人類の危機にかかわる問題である。イジメ問題はその象徴である。
フロムの『愛するということ』のアクチュアリティーを問う――ジョン・レノンのラブソングを仲立ちとしながら
フロムの『愛するということ』のアクチュアリティーを問う――ジョン・レノンのラブソングを仲立ちとしながら
フロムはこう問題を提起する。「たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題としてとらえている」と。しかし、真に問うべきは、「愛する能力」とは如何なる能力を指し、それをこれまで自分はどう養ってきたかという問題であり、それを如何にいっそう成長させるかだ、と。
この彼の問題提起は、今も、否、ますます今、わたしたちをグサリと突き、ハッとさせる力を持っている。フロムの言う「愛する能力」とは、何よりも愛する相手の「生命」が己を発揮しようと「自発的」に挙げる叫びに耳をそばだて、寄り添い、それに「応答」し応援しようとする能力である。だから、それはそもそも自他の「生命的自発性」・自由こそを愛する「生命」感覚を基礎にし、この点で、相手に寄り添う一体感がいつしか相手の「独占」と「吸収」による「近親相姦的=共棲的一体化」欲望にすり替わることへの鋭い自己批判能力を不可欠に含むものである。後者はいわば「偽愛」なのである。この彼の視点は現代の精神状況に真っ向から立ち向かうものである。そして実に、ジョン・レノンのラブソングの数々はこの視点に見事に呼応している。
奄美大島民謡・シマ唄の素晴らしさ――男女掛け合い精神の妙
奄美大島民謡・シマ唄の素晴らしさ――男女掛け合い精神の妙
奄美の民謡、シマ唄はまず「ハレ~、ハァ~レ~」という掛け声から始まります。では、奄美の人々の会話はどう始まるのでしょうか?「ハゲェー!」です。「ハゲェー!」というのは、驚きの感嘆詞で、標準語に直したら、「アレマー! エエ、ホントー ウッソー!」って感じの驚きの言葉です。さて、「ハレ~、ハァ~レ~」のハ音をローマ字で表したらhaですね。じゃあ、hをとったら? そうです「ア」ですね。つまり、「ハレ~、ハァ~レ~」は「あれ~、あれまぁ~」です。本土・ヤマトで喜怒哀楽一切に使われる感嘆詞の「あれ~、あれまぁ~」が奄美の「ハレ~、ハァ~レ~」であり、それは、実は奄美の会話の始まりに必ずといっていいほど置かれてきたあの「ハゲェー!」から来た言葉なのです。奄美の会話は相手の言ったことに「ハゲェ~」と相槌を打つことから始まります。相手の言ったことに「あっれまあ~」とびっくりしてあげて、それで会話に勢いをつけ、弾ませる、これが奄美の会話の作法、ルールなのです。会話が弾むためには、この驚き合う掛け合いの精神が弾んでなければなりません。
人間の感情のことを「喜怒哀楽 」といいますね。喜があるから怒がある。怒があるのは喜があるからこそ、哀楽も同じ、哀楽は、究極可哀想と可愛いの関係。一番楽しいのは自分達が愛しあっていると感じるとき。つまり、「喜怒哀楽」とは、感情が濃い、情が濃い。生命感が強い、生命力が強い 、リズムが強い 。感情にメリハリがくっきりして、いつも感激に弾んでいるということです。
実は奄美のシマ唄は、まさにこの掛け合いの精神が男女の掛け合い歌として大輪の花を咲かせたと言っていい民謡なのです。そのことは、奄美のシマ唄の断トツの特徴は、歌は必ず男女の二人が一組となって、男が裏声を使って相方の女よりも高い声を出し、掛け合いの形式で歌が歌われ、進行するという点にあります。この点は本土にはない奄美だけの特徴です。奄美はもともとは琉球王国の支配下にあった地域として言葉も宗教もさまざまな生活習慣も沖縄の影響がとても大きいのですが、この男が裏声を使って女に掛け合うという歌い方は沖縄には全然なくて、奄美だけのものです。
今日の私の講演のテーマは、この奄美の掛け合い精神の妙を、シマ唄の歌詞の面白さをとおして皆さんに知っていただくと同時に、柳田国男と折口信夫という日本の民俗学の創始者がおこなっている議論と関連させ、それが如何に、「男尊女卑」ならぬ、その反対いわば「女尊男卑」の精神、実は日本文化の一番古い層にある母系制文化に由来するものかを知っていただくことにあります。
主な実績
講演実績
市民講演会 近畿大学
奄美大島加計呂麻諸鈍交流館講演会 「シマ唄は島の宝」実行委員会
講演料金目安
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