1970年11月5日、大阪府生まれ。PL学園高校時代、1987年の第69回全国高等学校野球選手権大会では唯一2年生として決勝戦に出場。三塁手として先発出場し全国優勝を果たす。卒業後は同志社大学に進学。関西学生リーグでは、1990年春季のリーグ戦で首位打者を獲得した。プロの誘いもあったが、社会人野球のプリンスホテルに入社。1995年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。アテネオリンピック野球日本代表、北京オリンピック野球日本代表ではキャプテンを務めた。
2013年10月4日に現役引退を表明。現在は野球解説や講演など、その活動は多岐にわたる。
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経歴
- 1970年
- 11月5日 大阪府生まれ。
- 1987年
- PL学園高校 第69回全国高等学校野球選手権大会 三塁手として先発出場し全国優勝。
- 1989年
- 同志社大学進学。
- 1992年
- プリンスホテル入社。
- 1995年
- ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
- 2004年
- アテネオリンピック野球日本代表。
- 2008年
- 北京オリンピック野球日本代表 キャプテン。
- 2013年
- 10月4日 現役引退。
主な講演テーマ
球道即人道~野球から学んだ人生への取り組み方~
球道即人道~野球から学んだ人生への取り組み方~
「球道即人道」宮本氏の座右の銘である。この言葉は「普段の生活をしっかりやってないと、野球もしっかりやれない」ということを表している。野球人としての成功の裏には、普段の生活を律すること。すなわち、球道即人道の精神があった。
講演では、宮本氏のこれまでの経験を基に、人生の生き方や成功の秘訣を伝える。
意識力~意識が変われば、人は大きく成長する~
意識力~意識が変われば、人は大きく成長する~
宮本氏が常に心がけているのは「意識が変われば、人は大きく成長する」ということ。引退会見の際、「好きで始めた野球が、プロになった瞬間に仕事に変わった。よく野球を楽しむというけれど、1回も楽しんだことはなかった。19年間、仕事として真剣に向き合ってこられたのが、誇れる部分だと思う」と語った。野球選手としては体格的に恵まれていなかった宮本氏が大成した理由は、仕事として真摯に野球に向き合ってきたからにほかならない。
講演では、「意識力」について宮本氏が語る。
歩~“脇役の一流”を目指した男の思考と努力~
歩~“脇役の一流”を目指した男の思考と努力~
ヤクルト入団時、野村克也監督から“自衛隊”と呼ばれたように“守備の人”としての印象が強かった宮本氏ですが、12年には2000本安打も達成、攻守ともに球界を代表する名選手となりました。PL学園、同志社大、プリンスホテルと進み、さまざまな恩師との出会いのなかで、技術論、精神論など、どんな教えを受け、何を学んできたのか。これまでの経験を基にお話しします。
主な実績
テレビ
NHK | (野球解説)/ |
---|
ラジオ
NHK | (野球解説)/ |
---|
受賞歴
1997,1999-2003年 | ゴールデングラブ賞 | (遊撃手として) |
---|---|---|
2009-2012年 | ゴールデングラブ賞 | (三塁手として) |
2003年 | アテネオリンピック予選 アジア選手権MVP | |
2011年 | 月刊MVP | |
2011年 | ベストナイン | (三塁手として) |
その他
<通算成績>
2162試合 2133安打 62本塁打 578打点 打率2割8分2厘
<記録>
・2000本安打:2012年5月4日 対広島戦 …通算2133本
・400犠打:2012年9月26日 対阪神戦 …通算408犠打
本
- 『師弟』(講談社)
- 『洞察力――弱者が強者に勝つ70の極意』(ダイヤモンド社)
- 『意識力 (PHP新書)』(PHP研究所)
- 『歩-私の生き方・考え方-』(小学館)
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お客様の声
日の丸を背負って世界へ挑んだ男
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